深井穫博
(深井保健科学研究所)
1. 日常における生活行動と保健行動
自己と他者を認知することと行動することは,人が生きていく実態そのものである。この行動には,①遺伝的な個体発生,行動発達の側面と,②他者,社会,環境からの刺激に対する学習の側面がある。私たちの日常的な生活行動も,この二つの側面から捉えることができる。
生活行動のなかで,健康の維持増進に関連するものを,とくに,健康行動または保健行動(health behavior)とよばれている。保健行動の多くは,乳幼児期に母子関係のなかで獲得され,学童期の学校保健を通して定着する。しかし,成人期になると,その多様な職場環境,健康状態への自覚などを通して修正され,その後老年期にいたるまで修正と定着を繰り返しながら,生涯にわたって発達していく。したがって保健行動は,認知レベルでみても,無意識に習慣的に行われる行動から,意識的な予防行動(preventive action)まである幅広い概念といえる。
保健行動に関する古典的な概念として,キャッスルとコブ(Kasl,S.V.&Cobb,S. )は,保健行動(health‐related behavior)を病気の段階から分類している1)。すなわち,
①健康な段階
②自覚症状はないが病気に敏感になっている段階
③自覚症状はあるが,まだ診断されていない状態
④診断によって明らかになった疾病段階
⑤治療段階
⑦治療後の治癒,慢性化あるいは死の段階
であり,この保健行動を予防的保健行動(Preventive Health Behavior),病気対処行動(Illness Behavior),病者役割行動(Sick Role Behavior)に分類し区別している。
ところで,日常的な行動パターンが,健康や病気に関連することは,わが国でも貝原益軒の『養生訓』にみられるように古くから指摘され,人々の生活の知恵としても実践されてきている。
この自らの行動によって健康状態のある部分を改善できるということを疫学的に実証したものに,カリフォルニア州のアルメイダ郡での約7,000人の住民を対象としたベロックとブレスロー(Belloc,N.B.&Breslow,L.)の疫学調査がよく知られている2)。この調査の重要性は,1965年に,喫煙,飲酒量,睡眠時間,身体的運動量,ならびに体重管理という成人病予防にきわめて重要な日常生活習慣に注目し,不健康な日常生活を行っている集団が健康度において明確に劣り,かつ以後の死亡率にも大きく影響することを立証した点にある。
図2は,その調査結果の一部を示している。健康習慣として,1.睡眠,2.喫煙,3.朝食,4.運動,5.適正体重,6.飲酒,7.間食,の7つを取り上げ,日常生活のなかで,この7つの健康習慣をいくつ実践するかによって,その平均余命に違いがみられたという結果である。すなわち,7つの健康習慣のうち,「せいぜい3つ以下しか行っていない」45歳の男性では,「6つ以上行っている」同年齢男性に比べて11年も平均余命が短いという事実であった。この疫学調査の結果は,健康保持のためのライフスタイルの重要性を喚起し,その後の米国や世界の健康政策にも影響を及ぼした。
2.保健行動学の研究展開
保健行動(学)に関する研究展開をみると,その端緒は,1950年代からみられ,実は歯科保健の分野の報告がその契機となっている。
1953年イェール大学のジャニス(Janis,I.L.)らは,歯科保健の領域から「病気の恐ろしさを喚起するコミュニケーション(fear‐arousing communication)」のもつ,行動変容に対する有効性と限界とを示した3)。
さらに,アメリカの教育保健福祉省の保健担当官であった キーゲルス(Kegeles,S.S.)は,歯科医療サービスへの一種の探索行動(seeking behavior)に注目し,1961年に米国公衆衛生雑誌に「Why people seek dental care:A review of present knowledge」を発表した4)。これがその共同研究者であるミシガン大学のローゼンストック(Rosenstock,I.M.)の保健信念モデル(Health Belief Model)へと展開した5)。このモデルは,保健行動の因子として,客観的な病気の脅威や対処行動の有用性でなく,対象者自らが感じる主観的な病気の脅威や対処行動の有益性を強調した価値―期待説に基づくものであり,その後の保健行動学の研究に大きな影響を及ぼした。
また,保健信念モデルと同様に価値―期待説に立ちながら,個人の病気に対する信念に加えて,ある行動を行なうように社会から受ける圧力に対する個人の認知を社会的要因として取り入れたものが,エイゼンとフィッシュバイン(Ajzen,I.&Fishbein,M.)の合理的行為の理論(Theory of reasoned action)である6)。
その後,他の研究者からも,人々の主観的評価に着目したいくつかの保健行動モデルがこれまで提示されている。たとえば,ロッター(Rotter,J.)は,ヘルス・ローカス・オブ・コントロール(Health locus of control)を提唱し,保健行動を説明する概念として自己の心理要因に基づく内的統制(internal locus of control)と外的統制(external locus of control)とをあげた(図3)7)。人々が自分自身の生活について,自分でコントロールできると信じる程度には個人差がある。この概念は,強化に関する一般化された期待であり,個人が事象を自分自身でコントロールできると考えるか(内的統制),あるいは他者や偶然などがコントロールすると考えるか(外的統制)の程度を示すものである。これは,病気の認知とその改善のための自立的な行動のプロセスを左右するものとなる。
バンデューラ(Bandura,A.)は,社会的学習理論(social learning theory)のなかで,行動は,結果や効果に対する「期待」と「動機」によって決定されるとした。とくに自己効力(self efficacy)の重要性を強調し,個人の効力感に対する期待が,対処行動を維持できるかどうかを決定するとした8)。
ロジャース(Rogers,E.H.)は,新しい行動様式の獲得過程を社会的な視点から分析して,イノベーション普及モデルとして報告した9)。すなわち,新しい行動様式(イノベーション)の導入から普及までの過程には,「知識」,「態度」,「決定」,「実行」および「確信」の5つの段階があるとし,さらにその普及過程における集団間のコミュニケーションと個人のイノベーションに対する行動様式(革新者,初期採用者,前期追従者,後期追従者,遅滞者)が,影響するとした。
また現在では,ヘルス・プロモーション(Health promotion)(1986年,オタワ憲章)の概念の提唱から,個人の社会心理的要因に加えて,さらに環境因子との関係性にまで広げた保健政策をみるところであり,そのなかでグリーン(Green,L.W.)のプリシード・プロシードモデル(PRECEDE PROCEED Model)が健康教育の政策立案のモデルとして活用されている11)。
個人の心理的要因と保健行動との関連については,健康の主観的評価と客観的評価,保健に対する知識・態度と行動,医療に対する満足度,歯科治療に対する不安などの観点からの研究が展開されている。さらに,一般の人々がヘルスケアの実態を理解し,受け入れる過程(patient acceptance of health care)に関する研究報告もみられている。また,自己の主体的な課題解決能力に焦点をあてたレーベンタールとキャメロン(Levental,H & Cameron,L)の自己統御理論(self-regulatory model)や,行動変容のための本人のレディネスを重視し,行動変容理論と健康教育プログラムを組み合わせたディクレメンテやプロチャスカ(Diclemente,et al , Prochaska et.al)の段階的変化モデル(the stage of change model)がある11,12)。
このように,保健行動学の研究展開の歴史をみると,その幕開けは歯科領域から始まったといえる。これは,歯科疾患の特殊性と日常性とが反映しているともいえる。
3.口腔保健行動とは
1)口腔保健行動
食べることや言葉によるコミュニケーション,さらには身だしなみを整える整容行動(physical and appearance conditioning behavior)は,個人の日常生活のなかで,QOLを左右する切実な行動であり,口腔保健の領域にはいずれも関連が深い。
保健行動のなかで,口腔に関連したものを 口腔保健行動(oral health behavior)というが,これは
1.口腔清掃行動(oral hygiene behavior)
2.摂食行動(food choice and food acceptance behavior)
3.歯科受診・受療行動(acceptance behavior for dental care)
の3つに分類することができる。
2)口腔保健行動と生涯発達
生涯発達の観点からは,口腔保健行動の発現・定着に関する過程を,
4.行動の前段階
5.口腔保健行動
6.口腔保健行動の発達・維持
と段階的に捉えることができる。すなわち,健康教育のターゲットにも,これらの3つの段階があるといえる。図4に,これを成人の概念枠組みとして示した13)。
口腔保健行動は,小児期の家庭環境や学校保健の影響を受けて獲得・定着する。成人期では,その多様な環境での「気づき」や「学習」を通して修正されていく。しかも,老年期にいたるまで生涯にわたって発達するものである。個人の経験に基づく「気づき」や他者との関係性を通して形成される口腔保健の意識や態度に影響するものとして,たとえば,出産や育児を契機として,健康への意識が喚起されたり,経済的な理由や職種による時間的な制約が,歯科受診を敬遠させる場合などがある。すなわち,行動の発達過程には,健康教育や家族,職場の支援などの促進的な因子と,歯科治療に対する不安や経済的負担などの阻害因子がある。さらにこの概念枠組みのなかで,背景となる因子として,年齢,性特性および職種などがある14)。
3)口腔保健行動とQOL
図5は,WHOの第2回目の口腔保健に関する国際比較調査ICS�(1997年報告,調査期間1988~1991年,対象5カ国7地域)の際の理論モデルを示している15)。この国際共同調査の目標は,口腔保健行動,口腔保健状態,および口腔のQOLを含んだ口腔保健成果と,それぞれの社会集団での違いと個人間での違いを明らかにし一般化できるかどうか,を検証することにあった。いずれにしても,口腔保健行動のゴールを,専門家による保健技術の達成度や疾患の検診結果による評価でなく,本人のウエル・ビーイング(well being)というQOLにおいていることを,健康教育の場面でも常に留意しなければならない。
4.病者の行動
1)病気の認知とその対処
病者の行動とは,その人が病気をどのように認知し,対処するかの行動である。すなわち,ここで取り上げる病気は,専門家の診断による医学的な実態としての疾患(disease)ではなく,社会的な実態として定義された病気(illness)と感覚その人の反応や病気に対する他人の反応としての病(sickness)に焦点をあてて捉える必要がある。たとえば, 不調を訴えながら医療機関への受診を敬遠したり,先延ばしする心理があり,これは医学的な診断に基づく疾患の視点からは解釈しにくい問題である。また,クラインマン(Kleinman,A)は,「患者が自分の言葉で病歴やその原因,対処法を第三者に話せるようになれば,自己の状態を改善する行動がとれる」という「解釈モデル(explanatory model)」を提案し,患者の病気に対する認知がその後の改善に大きな影響を及ぼすとしている16)。
病者の行動を,「病気の認知」,「対処行動」,「評価」として段階的に捉えたものにレーベンタール(Leavental,H)の「病気行動の自己調節モデル(self regulatory model of illness behavior)」がある11)。「病気の認知」には,その病気に対する主観的な重大性,病気によって引き起こされる社会的制約と身体的影響,孤独や不安などの情緒的要因,医療費の負担,収入の途絶などの社会経済的影響などがある。さらには,その病気が医療受診や自己療法でどの程度改善されると考えるかという主観的な評価まで含まれる。「病気への対処」には,養生,服薬,医療機関への受診,人への相談などの回復のための積極的対処と,治療の拒否,現実逃避,受診の先延ばしなどの病気否定に基づく回避的対処がある。また,「評価」では,服薬や医療機関への受診など個人が選択した病気対処の結果を評価し,それを継続するか,止めるか,別の対処行動を起こすかを評価するものである。
2)社会的規範と病気
パーソンズ(Parsons,T)は,病者には文化的な規範としての役割行動(sick‐role behavior)があるとした17)。すなわち,
1.病気であることについて責任を問われない
2.病者が正常な時に果たされていた役割業務を免除される
3.しかしながら病気は役割遂行の点からは本来望ましくないので,良くなるように努める義務がある。
4.病者やその家族は,回復のために援助を求める義務があり,同時に援助者に協力する義務がある。
の4点の規範である
。
このパーソンズの病者役割行動は,医師優位のパターナリズムに基づく患者-医師関係のなかで成り立つものであり,しかも日常的な行動をそれほど制約されない慢性疾患には,適用されにくいモデルであるとの批判がある。
しかし,病気という社会・心理的問題を考える際に,規範や役割という背後の社会システムを捉える視点は重要である。
3)患者の不安
人の病気について歴史的にみると「病気の恐ろしさ」の度合いで考えた経緯がある。その予防となると,病気によっては「恐ろしさを喚起して伝えるコミニュケーション(fear arousing communication)」がかなり一般的に行われていたことがあった。これは,程度を超えると病気を理解する妨げとなり,人権の問題にまでなる。
保健行動に関連する因子として,病気に対する主観的な脅威と,自らの力でこれを改善できるという自己効力感があるとする報告が多くみられ,病気に対する自覚的な恐れを,保健行動に結びつけるための健康教育の重要性が喚起されている。
恐れには,1.恐怖(fear),2.不安(anxiety),3.病的恐怖症(phobia)がある。「恐怖」とは,脅威や危険を察知した時に生じる個人的な情動反応である。この恐怖に対する反応は,「対決か逃避か(fight or flight)」の反応と呼ばれている。それに対して,「不安」とは,その個人にとって脅威の源がはっきりしなかったり,すぐには脅威の実態が現れなかったりする状況に対する情動反応を意味する。
ところで,歯科を受診する患者には,歯科治療そのものに対する恐怖や不安である。これをいかに軽減するかは歯科医療関係者の古くから課題のひとつとなっている。歯科治療に対する「恐れ」の尺度には古典的なものに,コラ(Corah,N.L.)のDAS(Dental Anxiety Scale)やクラインネヒト(Kleinknecht,R.A.)のDFS(Dental Fear Survey)がある18,19)。
コラのDASは,患者の歯科治療に対する不安を,1.歯科治療前日,2.待合室で治療を待っているとき,3.チェアーに座って歯科医師が歯を切削する準備をしているとき,4.歯石除去をチェアーに座って待っているときの4項目について,「非常に不安」から「全く不安でない」までの5段階で評価するものである(表1)。これらを性差,年齢層でみると,多くの先行研究から,男性よりも女性が,中高年層よりも若年層で不安が強いとされている(図6)20)。ミルグラムら(Milgrom,P)は,この歯科治療に対する恐怖の原因には,過去の体験があるとして,次のように分類している21)。すなわち,恐怖を引き起こす直接的な体験として,1.歯科治療での過去の痛みなどの経験と,2.歯科医師の態度をあげている。また,間接的な体験としては,1.小児期における両親や周囲の人からの情報による想像と疑似体験,2.テレビ・映画などのマス・メディアによる情報,3.歯科以外の手術経験を想像するために引き起こされる「刺激の普遍化」,4.患者は治療に対してな「無力さと軽減手段の欠如」があるとしている。原因がはっきりしている場合には,その予防策や軽減法は比較的容易に見つけ出すことができる。
文献
1)Kasl,S.V. and Cobb,S.: Health behavior, illness behavior, Arch Environ Health, 12, 246-266, 1966.
2)Belloc,N.B.,Breslow,L.: Relationship of physical health status and health practices, Preventive Medicine, 1: 409-421, 1972.
3)Janis,I.L.,Feshbach,S.:Effects of fear-arousing communications,J. Abnorm. Soc. Psychol., 48: 78-92, 1953.
4)Kegeles,S.S.:Why people seek dental care; A review of present knowledge, Am. J. Public Health, 51: 1306-1311,1961.
5)Rosenstock,I.M.:Historical origins of the Health Belief Model, Health Education Monographs, 2: 328-335,1974.
6)Ajzen,I. and Fishbein,M.: Understanding attitudes and predicting social behavior, 胖胖Englewood cliffs, New Jersey, Prentice-Hall, 1980, p40-60
7) Rotter,J.B.:Generalized expectancies for internal versus external control of reinforcement, Psychological Monographs, 80:1-28,1966.
8) Bandua,A.:Self-efficacy mechanism in human agency, American Psychologist, 37: 122-147,1982.
9)Rogers,E.M.:Diffusion of innovations.3rd ed., Macmillan Publishing,New York.,1982(イノベ-ション普及学:青池慎一,宇野善康監訳:第4版,産能大学出版,東京, 1996,237-295頁) 10)Green,L.W.,Kreuter,M.W.:Health promotion planning; An educational and enviromental approach, Mayfield Publishing, MoutainView,2nd ed.,1991,p1-32.
11)Levental,H and Cameron,L:Behavioral theories and the problem of compliance, Patient Education and Counseling, 10, 117-138, 1987.
12)DiClemente,C.C., Prochaska,J.O., Fairhurst,S.K., Velicer,W. F., Velasquez,M.M., Rossi,J.S.: The process of smoking cessation: An analysis of precontemplation contemplation, and preparation stage of change, Journal of Consulting and Clinical Psychology, 59, 295-304, 1991.
13)深井穫博:わが国の成人集団における口腔保健の認知度および歯科医療の受容度に関する統計的解析,口腔衛生会誌,48:120-142,1998.
14)深井穫博,眞木吉信,高江洲義矩:成人の口腔保健行動と職種との関連,口腔衛生会誌,47: 89-97,1997.
15)World health organization: Comparing oral health care systems, A second international collaborative study, WHO/ORH/ICSⅡ,Geneva,1997,p8-10.
16)Kleinman,A.et al.: Culture, illness and cross-cultural research, Ann. Intern .Med., 88:551, 1978.
17)Parsons,T.:The sick role and role of the physician reconsidered,Milbank Memorial Fund Quarterly,53:257-278,1975
18)Corah,N.L.:Development of a dental anxiety scale,J.Dent Res,48:596,1969
19)Kleinknecht,R.A., Klepac,R.K., Alexander,L.D.: Origins and characteristics of fear of dentistry, JADA, 86, 842-848,1973.
20)深井穫博,眞木吉信,高江洲義矩:成人の歯科治療に対する不安と口腔保健行動との関連,口腔衛生会誌,48: 458-459,1998.
21)Milgrom,P, Weinstein,P., Kleinknecht,R., Getz,T.: Treating fearful dental patients, Reston Publishing Company, Virginia, 1985.(下野 勉,中條信義,田中 彰訳:患者を動かす-行動科学による歯科恐怖へのアプローチ,クインテッセンス出版,東京,1991.p13-48)