深井穫博
(深井保健科学研究所)
1.はじめに
口腔病(oral disease)ともよばれる歯科疾患は、齲蝕(むし歯)(dental caries)と歯周病(periodontal disease)に代表されるが、これらは生涯を通して発病することが多いので、慢性疾患あるいは生活習慣病としての自覚が弱いか、一種のあきらめの態度に陥りやすい。
たとえば、わが国の歯科受療率をみると、生後から学齢期までは年齢とともに増加する。そして、思春期に一時低下した受療率は、成人期以降上昇して、65~69歳がピークとなる。それ以降の年代では、歯科受療率は急激に減少する実態がみられる1)。これは、高齢者の医療費の財源とQOLをいかに確保するかという医療分野の課題とは異なるものである。
これらの口腔病は、いずれも口腔細菌叢のなかのある種の細菌が異常に増殖することによって歯の周囲に歯垢(dental plaque)が形成され、これが原因となって発生する。この口腔病は、古代からみられる疾患であり、食生活に影響を受ける。食べることは、生きていくための基本的な行動であり、口腔は外部の異物が常に侵入する器官としての特性がある。その意味で、乳幼児から高齢者にいたるまでの生涯にわたって口腔病の発生のリスクが伴う。さらに、その予防という観点からみると、50年以上前から世界的規模で展開されている齲蝕予防のためのフッ化物応用は、先進工業国における齲蝕の減少をもたらした。そして個人レベルからみると、口腔保健は日常生活のなかでの食品選択と歯口の清掃行動に左右されるものであり、しかも3ヶ月~6ヶ月毎の歯科受診による定期的な予防処置によってかなりの程度予防できる2)。すなわち、口腔病は、その発生も予防もその人の「行動」にかなり支配される疾患である。
口腔に関連した保健行動である口腔保健行動(oral health behavior)は、①口腔清掃行動(oral hygiene behavior)、②摂食行動(food intake behavior)、③歯科受診・受療行動(dental attendance behavior)に分類することができる。これらの行動を追究することは、口腔保健分野における研究者にも保健医療サービス提供者にとっても重要な課題である3),4),5)。
2.保健行動学の研究展開と口腔保健
(1)保健行動学の端緒
保健行動に関する研究展開をみると,その端緒は1950年代からみられ、歯科保健の分野の報告がその契機となっている。
1953年にイェール大学のJanisらは,歯科保健の領域から「病気の恐ろしさを喚起するコミュニケーション(fear‐arousing communication)」と行動変容との関連について高校生を対象とした保健指導の効果で示した6)。すなわち、歯科疾患がもたらす全身への影響などその疾患の恐ろしさを強調した保健指導群では、恐ろしさを喚起しない指導群に較べて、疾病への不安は確かに増大する。しかし、保健指導に対する同意の程度をみると、むしろ相反する結果を示し、恐怖を喚起するコミュニケーションの限界として注目された。さらに,アメリカの教育保健福祉省の保健担当官であった Kegelesは,歯科医療サービスへの一種の探索行動(seeking behavior)に注目し,1961年に米国公衆衛生雑誌に「Why people seek dental care:A review of present knowledge」7)を発表した。これがその共同研究者であるミシガン大学のRosenstockの保健信念モデル(Health Belief Model)8)へと展開した。
(2)保健行動と健康教育
この保健信念モデルは,保健行動の因子として,対象者自らが感じる主観的な病気の脅威と対処行動の有益性を強調した「価値-期待」説に基づくものであった。この対処行動の維持を自己効力(self efficacy)の概念で捉え、行動が結果や効果に対する「期待」と「動機」によって決定されるとしたBanduraの社会的学習理論(social learning theory)9)へと展開された。さらに、Rogersは,脅威評価(threat appraisal)と対処評価(coping appraisal)に対する認知過程のなかで生じる病気に対する防護動機を、保健行動の意図として重視する防護動機理論(Protection-motivation theory)10)を提唱し、コミュニケーションにおける態度変容の研究に用いられている。また、これらの個人の病気に対する主観的脅威と対処行動の有益性にさらに、社会的な規範を受容する過程で形成されるその人の信念(normative belief)の概念を取り入れたモデルにAjzenとFishbeinの合理的行為理論(Theory of reasoned action)11)がある。これらの社会心理学的な理論は、口腔保健行動のなかの歯口清掃行動を説明するモデルとして適用が試みられてきた。さらに、個人の心理的特性に着目し、 Health locus of control、self-esteem、SOC(sense of coherence)などと口腔保健行動との関連を検討した報告がみられる12),13),14)。
保健行動に対する健康教育の効果とその理論的背景としては、自己の主体的な課題解決能力に焦点をあてたLeventalと Cameronの自己統御モデル(self-regulatory model)15)など対処行動を主観的に評価することの意義を強調するものと、健康教育プログラムに行動変容の理論を組み合わせたDiclementeや Prochaskaらの段階的変化モデル(the stage of change model)16)がある。さらに、 ヘルスプロモーション(Health promotion)(1986年,オタワ憲章)の概念に基づくGreenのPRECEDE PROCEED Model 17)は、地域の健康教育政策立案と評価のモデルとして活用されている。わが国においてもいち早く、歯科保健の分野でこのPRECEDE PROCEED Model適用した事例がみられる18)。
(3)保健行動における口腔保健の課題
また、歯科医療の分野では、これらの保健行動モデルの適用に加えて、歯科受診・受療行動に関する研究が盛んに行なわれている19)。これは、歯科治療が、局所麻酔や歯の切削などから患者の不安や恐怖をどうしても引き起こしてしまう特徴があり、それを軽減し対応するための行動科学の適用である。また、この歯科受診・受療にかかわる患者の行動は、長期間継続して受診する場合が多くみられる歯科治療の特殊性と相俟って、1980年代以降には歯周病の治療と予防管理のためにの継続的なメイテナンスとしての定期的歯科受診の決定要因に関する研究展開がみられる20),21)。特に、人々が保健医療サービスを理解し,受容する過程(patient acceptance of dental care)22)や意思決定の共有(sheared decision making)23)には、患者-医療者関係、保健指導における患者の同意の程度(コンプライアンス行動)、健康情報の提供とコミュニケーション、患者満足度(patient satisfaction)、歯科医療の質の評価(quality of treatment, quality of care)、患者の選好(preference)などが医療における患者主体の潮流とともに歯科保健医療分野の行動科学の課題となっている。
3.口腔保健行動の評価指標
(1)口腔保健行動のアウトカム
歯科保健の分野における健康教育の効果をみると歯口清掃のように短期間で評価できるものと、摂食行動のようにその効果が明らかになるまでに長期間を要するのものとがある。 行動科学の研究展開のなかでも、初期には保健行動モデルの提示と検証、あるいは保健行動の決定要因に関する分析が行なわれていたが、現在では、行動が改善した結果(result)をどのように評価するかが問われている。すなわち、この行動変容に加えてさらに、健康に対する成果(outcome)とその評価の妥当性(evaluation validity)が求められる。
口腔保健のきわだった特徴は、評価できる健康指標(health indicators)と保健行動(health behavior)が、それぞれのライフステージで具体的に提示されていることである。たとえば、乳幼児期における離乳期の哺乳瓶齲蝕(bottle caries)、学童期の混合歯列における口腔清掃状態の低下や歯の萌出直後の幼弱永久歯の齲蝕罹患性、思春期までの個人の成長発達過程における口腔病にかかわる行動リスクの増加、成人期の生活習慣や職種などの社会経済的要因に基因した歯周病、高齢者や介護高齢者には介助者による口腔清掃など生涯にわたる保健課題である。特に、小児期における「口腔清掃行動」および「摂食行動」と、成人・老人期における「受療行動」が、生涯を通したヘルスプロモーションによって個別的に、また地域の保健指標として啓発していくことができる。
(2)口腔保健行動の評価指標
健康日本21をみると、「定期的な歯石除去・歯面清掃」、「定期的歯科検診」、「フッ化物歯面塗布」「間食として甘味食品・飲料の頻度」、「フッ化物配合歯磨剤の使用」、「個別的歯口清掃指導」、「歯間部清掃」などの保健行動がリスク低減目標としてライフステージ毎に設定され、しかも、8020達成のための疾患罹患状況の目標値がDMFやCPI(community periodontal index)として具体的な数値で示されている24)。
世界的規模では、これまで2回にわたってWHOのICS(international collaboration study)が行なわれているが、口腔清掃行動として「毎日1回以上歯をみがく者の割合」、「デンタルフロスなどによる歯間清掃」が評価指標となり、歯科受診・受療行動では「過去1年間の歯科受診」、「過去1年間の予防のための歯科受診」などで評価されている25)。表1にその結果の一部を示したが、これらの口腔保健に関する行動指標が、健康における公平性確保(health equity)の観点から、医療のシステムや文化民族性を超えたものとして提示されている。
(3)口腔保健にかかわるQOL指標
健康指標としてのDMFTやCPIは、予防プログラムの効果を容易に判定できる指標である。しかし、疾患の客観的評価としての数値目標の設定だけでなく、その疾病が個人の日常生活のQOLにどのように反映され、あるいは受容されているかという課題があり、健康に対する成果(outcome)は、患者や人々のQOLに立脚した成果として問われることになる。
口腔保健に関連するQOL指標としては、①主観的な咀嚼状態の評価、②歯口の外観などの審美性、③会話などの社会性に対する満足度が主なスケールとなる。これらに、歯の疼痛や不快な口腔内症状を加えて、歯口に関する「困りごとや不満」に焦点をあてた口腔に関連するQOL指標が開発されている。海外では、SOHSI(Subjective Oral Health Status Indicator)、OHIP(Oral Health Impact Profile)、 DIP(The Dental Impact Profile)、 GOHAI(The General Oral Health Assessment Index)などが代表的ものであり、その妥当性・再現性の評価も行なわれている26),27),28),29)。わが国においても、FSPD34型30)、OHIP日本版31)などの報告がみられるが、世界レベルでの共通した評価指標の開発にはいたっていない。
4.口腔保健行動の関連要因
(1)成人の口腔保健行動の概念枠組み
口腔保健行動は、小児期から老人期までの各ライフステージで獲得され修正され定着がみられるという意味では、生涯発達するものである。特に小児期の育児と学校保健における健康教育は、その後の保健行動に影響を及ぼす。これは、12歳ごろ発見され40歳で亡くなるまでのシング牧師に育てられた野生児の不思議な例32)を出すまでもない。ところが成人は、その個人の社会経済的要因や心理的特性などが複雑に影響して、しばしば「知識と行動」、「態度と行動」が一致しないことがみられる「謎の保健行動集団」である。口腔保健行動を説明するモデルとしては前述した心理学的なモデルから、地域の保健施策のなかで個人の行動を解釈するモデルまであるが、ここで、行動が発達するプロセスとその関連要因の観点からみれば、図1に示した成人の保健行動の概念モデル33)が考えられる。
すなわち行動の発達過程には、健康教育や家族、職場の支援などの促進的な因子と、歯科治療に対する不安や経済的負担などの阻害因子がある。さらにこの概念枠組みのなかで、背景となる因子として、年齢、性差、地域特性、職種などがある。たとえば、Marcencesらのブラジル成人を対象とした調査では、口腔清掃行動と歯周病の罹患状態は、社会経済的因子の高い者で良好であり、しかも職場の勤務時間のフレキシビリティとの関連が指摘されている34)。また、わが国においても、関東近県の7カ所の企業に勤務する20歳から50歳代の成人553名の口腔保健行動をみると、職種による明らかな違いがみられ、勤務時間の不規則さが、口腔清掃行動や歯科受診を妨げている現状とさらには、「仕事への満足感」と口腔保健行動の関連も報告されている35)(図2)。
(2)口腔保健行動の関連要因
成人の口腔保健行動の調査においては、その行動が社会経済的要因に強く影響され、しかもその個人の受けた健康教育のレベルにも左右されるものであるので、代表性を確保するためのサンプリングが難しい研究領域である。
わが国の実態のひとつとして、北海道から九州までの人口10万人規模の9箇所の市役所に勤務する25歳から64歳の成人男女1418名の調査結果をみると、口腔清掃行動には明らかな性差と年齢特性がみられている33)。これは、エイジングによる整容行動の変化や成人期に新たに獲得した予防行動と健康情報に対する態度における性差と解釈される。また、歯科受診・受療行動でも、女性に高い傾向を示し、歯科疾患発病の脅威に対する感受性と脆弱性が反映していると考えられる(図3)。
医療や保健の観点からの地域特性については、①医療機関の数、分布および質、②健康情報の普及度、③地域の健康習慣の発達レベル、④行政の健康施策、⑤交通の利便性などの社会資源、⑥職種に関連する産業構造、⑦人口構造 などがあげられる。歯科医療機関の分布に大きな地域較差がみられないわが国では、医療機関や地域施策における健康教育のレベルによって引き起こされる口腔保健の認知度の差異が、地域特性となる。
5.歯科臨床における行動科学の展開
(1)歯科受診・受療行動モデル
歯科受診・受療行動には、①疾病を自覚しその対処としての受療行動と、②発病前のチェック・アップ、治療後のメインテナンス、予防プログラムのための受診行動というふたつの側面がある。しかも、歯科治療には、比較的長期間の通院が求められる場合が多く、患者の口腔保健行動の程度がその治療の予後を決定する側面がある。特に小児の齲蝕予防や成人期以降の歯周病の予防には、定期的な歯科受診(regular dental check-up)が求められる。わが国においては、成人の41.1%が、「過去1年間に歯科を受診」している実態がある36)sup>(図4)。
歯科受診・受療行動を説明するモデルには、これまでに、①心理的モデル、②医師と患者の相互作用モデル、③経済的モデル、④社会学的モデルが提示されている19)。 この歯科受診・受療行動は、⑤主観的ニーズ(疾患の主観的評価)、⑥疾病状態(疾患の客観的評価)、⑦歯科医療サービスの量、⑧歯科医療サービスの質によって決定されると考えられる。国民皆保険制度のなかで、比較的充分な量の歯科医療サービスが提供されるわが国においては、特に主観的ニーズがどのように啓発されるかという問題がある。
たとえば、Maierは2500名の成人男女を対象とした調査で、医科の定期検診受診者では、健康状態が「悪い」と自覚する者に多いのに対して、定期的歯科受診者では、主観的歯科保健状態が良好な者ほどその受診率は高かったと報告している37)。また、わが国の調査でも、過去の歯科受診経験で、「治療や指導に満足した経験」をもつ者が、治療の場面で医療提供者側に「説明」を求めるという積極的な態度や、歯科医院を選択する理由として健康志向を重視する傾向がみられている38),39)。さらに、「過去1年間の歯科受診理由」でみると、「治療を主訴」とした者と「予防を目的とした定期歯科検診」の受診者の特性は異なる40)。
(2)歯科治療に対する不安
患者の歯科治療への不安(dental anxiety, dental fear)に対して歯科医師がどのように対応するかについては、古くから歯科医療の課題のひとつである。歯科治療に対する「恐れ」の尺度として代表的なものに, CorahのDAS(Dental Anxiety Scale)41)やKleinknechtのDFS(Dental Fear Survey)42)がある。この歯科治療に対する不安を、性差や年齢層でみると、多くの先行研究から、男性よりも女性が、中高年層よりも若年層で不安が強い43)(図6)。 これらの、歯科治療に対する不安は、明らかに歯科受診・受療を阻害する因子となるが、その一方で、不安の強い人が歯科治療を避けるために、歯科疾患に積極的なセルフケアで対処する行動はみられない。
(3)コンプライアンス行動
コンプライアンス(compliance)は、歯科医療提供者側の指導や指示に患者が従う行動の程度である。特に、歯周病の治療(SPT; supportive periodontal therapy)の効果との関係に着目した研究報告が多くみられている44),45)。これまでの調査では、「ノン・コンプライアンス」にかかわる因子として、保健情報と患者の保健に関する知識不足、 疾患に対する「恐れ」の自覚、治療の必要性や効果の認知度、時間的制約、治療費、職業上の要求、 怠慢な性格、忘れっぽさや無関心などとの関係が指摘されている。また、「コンプライアンスの良い患者」の特徴としては、歯科医師の熟練した治療技術、強いモチベーション、口腔保健の重要性を切実に感じた経験、良好な口腔内状態、口腔状態の改善に関する自己効力感、口腔保健にかかわる知識が高いこと、歯科治療に対して恐怖心が低くて口腔保健に積極的な患者、治療期間が短期間であること、などが報告されている46),47)。一方、年齢、性差、所得など経済性とコンプライアンスとの関連は必ずしも明確ではない。
また、患者の心理的特性からコンプライアンスの行動を解釈しようとする報告もみられる。たとえば 保健信念モデルの「病気の重大性」、「病気に対する脆弱性」、「保健行動の利益」、「保健行動の自己効力感」のなかで、「脆弱性」と「利益」がコンプライアンスに関連する。あるいは、ヘルス・ローカス・オブ・コントロールにおける「外的統制(external locus of control)」の程度でコンプライアンス行動を解釈する報告などある48)。
(4)患者満足度
患者満足度(patient satisfaction)は、医療の質を患者側の視点で評価した結果であり、患者立脚型アウトカムにひとつである。この医療の質は、治療の質(Quality of treatment:QOT)とケアの質(Quality of care:QOC))とに分けて考えることができる。QOTは、手技の確実性、信頼性(evidence based)、医療情報提供、臨床判断(decision making)の要素から構成され、QOCには、健康の公平性(health equity)、親切な対応(hospitality)、人間的な対処(humanity)、健康における分ち合う価値(shared values)の側面がある。そして、満足度は期待度と表裏一体をなすものであり、この期待度は、サービスに対するその人の重要度によって異なり、しかも一定の「許容できる範囲(zone of tolerance)」49)がある。したがって、歯科医療における患者満足度研究には、継続受診とそのプロセスのなかで生まれる患者の口腔保健に対するawarenessに、その都度、医療提供者側がサービスの質を改善して対応できるかという問題も内包することになる。
Newsomeらは、1980年から1990年代までの歯科患者満足度研究のレビューの結果、患者満足度の構成要素を5つに分類している。すなわち、①治療の技術的側面(technical competence)、②コミュニケーションなどの個人間の要因(interpersonal factors)、③利便性(convenience)、④治療費(cost)、⑤設備(facilities)である50)。
患者満足度の評価指標(質問票)として広く利用されているものには、CorahのDental Visit Satisfaction Scale(DVSS)51)とDavisらのDental Satisfaction Questionnaire (DSQ)52)がある。それぞれに特徴があるが、前者は受診した患者自身の評価に力点があり、後者は地域レベルの患者満足度評価に適した指標である。DVSSは10項目の質問からなり、その構成は、①情報-コミュニケーション(information-communication)、②理解-受容(understanding-acceptance)、③技術的側面(technical competence)からなる。
患者満足度に関連する患者側の要因としては、その時の健康状態、年齢、性別、教育レベル、年収などとの関連が報告されている。すなわち、①健康状態が良好な者が、②男性よりも女性が、③若年者よりも高齢者が、④教育レベルや収入の高い者より低い者が、より満足を得やすいという報告がある。さらに、その人の過去の受診経験、受診パターン、歯科治療に対する不安との関連性も指摘されている53)。一方、医療者側の要因としては、技術的な側面(治療技術とコミュニケーション技術)、医療設備、治療期間、待ち時間、歯科医師の性別年齢との関連を指摘した報告がみられる54)。
(5)医療者と患者とのコミュニケーション
医療者と患者とのコミュニケーションは、患者満足度との関連が強く、先行研究も多い55)。このコミュニケーションには、保健医療情報の質と情報の交流様式が問われることになる。Ongらは、医療者患者間のコミュニケーションに関するレビューのなかで、何よりも患者の不満が、医療情報の不足から引き起こされている点を強調している56)。また、医療者の患者への共感の姿勢としてのバーバル・コミュニケ-ションや患者が語ることの重要性も指摘され、これはNBM(Narrative based medicine)57)の意義ともいえる側面である。
歯科医療の場面で行なわれる保健指導や健康教育は、患者の口腔保健行動を改善することが目的となるが、患者満足度が、口腔清掃行動や摂食行動の変容に関与したとする報告はあまりみられない。それに対して、歯科受診の指導に関わる患者のコンプライアンス行動との関連を指摘した報告は多く、現状における患者満足度は、歯科受診・受療に対する態度を左右するものとなる58)。このことは、患者満足度がコミュニケーションや治療のプロセス評価を含んだ概念でもあるので、医療の場面におけるその時点の健康教育の質や情報提供のレベルを反映しているとも考えられる。
(6)臨床における意思決定の共有(sheared decision making)と患者の選好(preference)
保健医療情報の提供過程においては、治療の経過や治療手順に関する説明が、患者の満足度にも関連し、そのことが疾患の予後に影響を与える。また、治療法のリスクをどの程度まで許容できるかは患者によって異なるとするものであり、臨床判断(clinical decision making)の場面で、患者の選好(preference)をいかにして反映していくかという課題がある。この選好ウエイトの分析法としての費用効用分析(cost utility analysis)が有用となる。この費用効用分析とは、医療の効果をQOLに置き換えて評価するものであり、治療の成果が口腔保健のようにその人のQOLに深く関連する領域では特に重要となる。具体的には、評価尺度(rating scale)、スタンダードギャンブル(standard gamble)、タイムトレードオフ(time trade-off)などの手法があり、歯科領域での応用が試みられている59),60)。臨床における意思決に定の共有(sheared decision making)には、健康情報の質と受容度が問われるので、患者の選好分析は有用な手法となる。
まとめ
行動科学における口腔保健の展開に関して歴史的な経緯と現状での課題について概略的に述べた。口腔保健に関連する行動科学的研究は、米国を中心として1950年代から展開されてきているが、興味深いことは行動科学の初期の概念構築に寄与していることである。たとえば、Health Belief Modelが、Janis、Kegelesらの歯科保健教育と歯科受診・受療行動に関する先行研究が契機となって提唱された事実である。これは、口腔保健のもつ特徴として、評価できる健康指標と保健行動がそれぞれのライフステージで具体的に示されていることが背景となっている。特に小児期における口腔清掃行動と摂食行動、さらには成人・老人期における歯科受診・受療行動は、生涯を通したヘルスプロモーションによって啓発していくことができることである。
また、保健行動は、健康情報の質とコミュニケーション行動(communication behavior)が深く関わる研究領域であり、歯科医療の現場でも、地域における健康施策(health policy)においても、人々が主体の保健医療のための鍵となる課題である。さらには、限られた財源のなかで、人々や患者立脚型のアウトカムの達成度が問われている現在、それを評価する場合には、医療経済の視点は欠かすことができない。そしてこの医療経済の分野においても、個人の健康に対する認知と行動のメカニズムを追究した受療行動の解明なくしては、現実にそぐわない研究展開となるものである。これらの解決は、今日の時代的要請であろう。
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(深井穫博,保健医療科学,Vol.52.No1.,46-54,2003.)