行動の変容と維持
深井穫博
(深井保健科学研究所)
行動は変えられるか
保健行動は、生活行動のなかで「健康のためになる行動」である。口腔保健の分野では、口腔清掃、摂食、あるいは歯科受診・受療にかかわる行動がある。これらはいずれも日常的な行動であり、その多くは、成長発達過程において家庭環境や学校保健の影響を受けて、獲得・定着されていく。しかし成人期以降も、生活環境、健康に関連した経験、あるいは専門家からの保健情報のレベルで変容し、高齢者においては、self-esteemの消退や身体機能の低下でそれまでに獲得した保健行動がさらに修正される場合がある。
そしてこの行動変容は、発病などの深刻な経験によって短期間で引き起こされることがあるが、成功と失敗を繰り返しながら改善されていく場合が多い。そのため専門家からのアプローチは、断面的なものよりもむしろ長期にわたる段階的な支援が必要なことは容易に推測できる。問題となるのは、この行動変容のための支援プログラムが専門家の独りよがりでなく、人々に受容されるものであるかどうかという点である。米国での調査をみると、大学病院での歯周治療プログラムからドロップアウトする者が11~45%、個人診療所の場合でもそのプログラムに従える者は30%以下であり、さらに専門家の口腔清掃指導を遵守する者は、楽観的にみても50%以下であったという報告がある1)。また、わが国の働く成人の調査でも、職場での歯科検診における「治療の勧め」に従う者の割合は、男性では19.4~24.2%、女性でも26.8~52.3%であった2)
。
一方、この「健康のためになる」という行動の基準は、本人の主観的な判断による場合と、専門家の客観的な評価に基づく場合がある。両者が一致することが理想であるが、「情報の不均衡性」のなかでは、患者の判断と専門家の評価が一致しないことがしばしばみられる。いずれを強調するかによって、「自己学習型」や「専門家管理型」と表現されるような保健指導のスタイルが分かれていくが3)、保健行動学の分野では前者に焦点を当てたアプローチが多い。
行動変容における学習とモチベーション(motivation)
保健医療における患者の行動変容の場面で、「モチベーション」、あるいは「動機づけ」は、専門家側がしばしば用いる表現である。多くの場合、患者側の理解度や、専門家のアドバイスに従う行動の程度(compliance)が低い時に表現される。心理学の分野では、「動機づけ」は「やる気」や「意欲」のことである。行動には、刺激によって機械的に反応が引き起こされるrespondent行動(誘発行動)と生体の能動的な環境への働きかけで引き起こされたoperant行動(自発行動)があり、その動機に併せて ①外発的動機づけ(extrinsic motivation)と②内発的動機づけ(intrinsic motivation)とに区別することが一般的である。
学習理論における古典的な研究をみると、「外発的動機づけ」は、Pavlov,IPやThorndike ELによる「古典的条件づけ(classical conditioning)」とよばれている理論に基づいている。この「刺激」と「反応」によって学習が生じるというS-R理論は、その後、Watson JBの「すべての人間の行動は、刺激と反応で説明できる」とした行動主義心理学に導入された。さらにこれらの研究を踏まえて、Skinner BFは、人の行動は「オペラント(自発的)条件づけ(operant conditioning)」によって形成されるとした。この際、行動変容の鍵となる概念が「強化(reinforcement)」である。
一方、「内発的動機づけ」は、外部からの報酬ではなく、ある活動をすること自体を自己目的的に求める欲求である。知的好奇心はその代表的なものである。1960年代以降、この内発的動機づけの研究は活発になった。そして、この内発的動機づけが十分あるときに、外から報酬を伴わせると、かえってその動機づけが低減してしまうという現象もみられている。Deciはさらに、この外発的動機づけと内発的動機づけとの関連を追及し、行動変容における「自己決定」の重要性を指摘している4)。口腔保健における内発的動機づけの要素として、①歯科治療における自立性、自己責任、好奇心、②セルフケアに関する興味、③口腔清掃の根拠に対する満足度、④摂食の口腔保健に対する評価をあげられている5)。
保健行動における自己効力感(self-efficacy)の意義
Bandura Aは、1977年に社会的学習理論(social learning theory)を提唱し、後には社会的認知理論(social cognitive theory)へと発展した6)。これはそれまでの動機づけの理論に認知心理学を適用したものであり、保健行動にも広く応用されている理論である。特に「観察学習(モデリングmodeling)」と「自己効力感(self efficacy)」の概念が重要である。
人間は自分自身の経験から行動を学ぶだけでなく、周囲の人の行動から間接的に学ぶこともできる。しかも、必ずしも他人の行動をその場で模倣するとは限らず、別の機会に同じような行動をとる場合もある。この観察学習は、①注意過程(モデルの行動を観察する)、②保持過程(行動を記憶する)、③行動再生過程(実際の行動を遂行する)、④動機づけ過程(行動が強化される)の4段階で成り立つ。そして、行動を遂行するための動機づけ過程には3つの強化すなわち、①外的強化 、②代理強化 、③自己強化がある。
自己強化とは、自分のとった行動に自ら強化刺激を伴わせて行動のコントロールを図ることである。自発的な報酬・強化を生じるように環境に働きかける行動であり、「機会刺激-自発行動-強化の随伴性」という三項関係が成り立つ。この自己強化が形成する一連の過程が「自己統制(self regulation)」である。
それに対して、自己効力感とはある結果をもたらす行動ができるかどうかの確信度のことであり、この先行要因として結果期待(outcome expectancy)と効力期待(efficacy expectancy)がある。そして、自己効力感に影響する因子として、①成功体験、②代理体験、③社会的説得、④生理的・感情的状態がある。
段階的な行動変容支援プログラム
行動変容は、多くの場合、長期間にわたって段階的に達成されるので、それに併せた支援モデルが必要となる。Prochaska JOの汎理論的モデル(The transtheoretical model)の基盤となるステージ理論においては、行動の変化を、無関心期、関心期、準備期、実行期、維持期の5つの段階に分類し、それぞれの段階に併せた保健指導の方法が提示されている7)。多くの場合、これらの段階を失敗と成功を繰り返して、行動変容が達成されるので、専門家は本人の心理的プロセスに併せて、意識の高揚、環境の再評価、行動の再評価、援助関係の利用、強化のマネージメントなどの対応をとることになる。これは、口腔保健の場面でも活用できる理論である。
本稿では、行動変容における心理学を中心とした古典的な理論を概説した。特に自己効力感と段階的な行動変容モデルは、スモールステップ、自らの成功体験、周囲の代理的経験、患者の問題に焦点を当てた医療者側のコミュニケーション、セルフモニタリングと自己決定などの重要性を示すものである。特に口腔保健は、本人の保健行動によって、比較的短期間に改善とその結果に関する自覚が得やすい分野である。そして、医療の質が確保されていれば、治療の成果に基づく内発的動機づけや自己強化に焦点を当てた指導が比較的容易であり、行動変容の支援に認知心理学の適用がさらに求められる。
文献
1) Wilson TG Jr: Compliance and its role in periodontal therapy, Periodontal 2000,12,16-23,1996.
2) 深井穫博:わが国の成人集団における口腔保健の認知度および歯科医療の受容度に関する統計的解析,口腔衛生会誌,48:120-142,1998.
3) 市川伸一:学ぶ意欲の心理学,PHP研究所,第1版,東京,2001.24-45頁
4) Deci EL, Ryan RM: The support of autonomy and the control of behavior, J Pers Soc Psychol, 53,1024-1037, 1987.
5) Syrjaelae A-MH, Knuuttila M, Syrjaelae LK: Intrinsic motivation in dental care, Community Dent Oral Epidemiol,20,333-337,1992
6) Bandua,A.:Self-efficacy mechanism in human agency, American Psychologist, 37: 122-147,1982.
7) DiClemente,C.C., Prochaska,J.O., Fairhurst,S.K., Velicer,W. F., Velasquez,M.M., Rossi,J.S.: The process of smoking cessation: An analysis of precontemplation contemplation, and preparation stage of change, Journal of Consulting and Clinical Psychology, 59, 295-304, 1991.
(The Quintessence, 23(4),1158-1159,2004.)