歯科受診・受診行動
深井穫博
(深井保健科学研究所)
患者側と医療者側のふたつの視点
患者が来院することを、英語表現ではdental visit、 dental utilization、 dental attendanceなどの用語が用いられている。日本語では行政の統計調査などで「受療率」として表現されることが多い。歯科治療を受けることを「受療」し、歯科医療機関、職場、学校、地域などでの歯科健診を受けることを「受診」と区別する場合がある。また、両者の違いが明確ではないので、歯科受診・受療行動と併記して用いる場合もある。これらの用語のあいまいさは、実は歯科受診・受療行動に対する歯科医療者の認識を反映したものとも考えられる。
歯科を受診・受療するという行動は、来院者にとってあくまで治療した結果(outcome)が良いという予測や、治療後に口腔内が改善したという自覚に基づくものである。そして、必ずしもその結果の全てに満足しているわけではなく、我慢やあきらめの感情を伴いながら来院を続ける場合もあるだろう。一方、医療側からみると、疾患がある(need)にも関わらず、なぜ受診が敬遠されるのか、あるいは定期的なメインテナンスの勧めに従わない場面においては、患者側の口腔保健に対する認識の問題とされることがある。
歯科受診・受療行動には、患者者側と医療者側とのふたつの視点があるが、行動科学では、患者側の視点に基づいてその行動のメカニズムを追究ことになる。例えば、全国規模の約1、500名の就業成人を対象とした調査結果をみると、職場での歯科健診における「治療の勧め」に対して、「必ず従う」と回答した者は約30%であるのに対して、口腔内の症状を自覚した場合に歯科を受診する者の割合は約70%を示し、医療者側の考えと患者側の行動には大きなギャップがある1)(図1)。
歯科受診・受療行動の実態
わが国における歯科受診・受療行動の実態のひとつとして、1999年の厚生労働省「患者調査」をみると、一日の全国の推計患者数は、約115万人であり、総人口の0.9%の人が毎日歯科医療機関を受診している。その年齢構成は、医科患者が高齢者集中型であるのに対して、歯科患者は50歳台を中心に幅広く分布し、70歳以降で急激な低下がみられる。また、医療保険統計によれば、年間の平均歯科受診日数は3.25日である。
一方、「1年間で歯科を受診したことがある」者の割合は、受診者が35.1%であり、調査時に治療中の者は6.0%を示し、総数で41.1%である。性別でみると、男性38.5%に対して、女性では43.5%となっている。また、過去1年以内の治療経験者の中で、主な診療内容として「むし歯の治療」が59.1%と最も高く、「検診・指導(定期的なもの含む)」が6.0%、「歯周疾患の治療」が7.7%である。すなわち、全国レベルでみれば、1年間に定期的な歯科健診や保健指導を受けている者はわずか2.5%にすぎない2)(図2)。それに対して、米国の実態をみると、1年間の受診理由として「歯科健診」が45.4%、歯石除去やPMTCなど歯周病の予防に関する受診は37.2%を示している3)。
歯科受診・受療行動の決定要因
歯科受診・受療行動の関連要因に関して、1980年代および1990年代の開発途上国から先進工業国にわたる研究結果のレビューから、①米国、カナダ、英国、スカンジナビア諸国、オーストラリアおよびニュージーランドなどの先進工業国では、歯科受診・受療者の割合は全年齢層で増加し、特に予防を目的やチェック・アップのための受診が顕著である。②歯科医療機関が少なく歯科受診・受療行動が定着していない国では、女性の方が男性よりも高い受診率を示しているが、先進工業国では、歯科受診・受療行動における性差はみられなくなってきている。③定期的な歯科受診は、個人の疾患の程度や経済性には左右されない、などの結果が示されている4)。
歯科受診・受療行動に関連する因子は、健康保険制度などその国の医療システムと、その症状や受診理由によって異なるものであるが、いずれの場合も、①来院者の口腔疾患に対する主観的評価、②医療者による客観的評価、③歯科医療サービスの量、④歯科医療サービスの質、という4つの要素にまとめることができる(図3)。
Petersen、PEは、これまでの研究結果から、歯科受診・受療に関するモデルを、①心理社会的モデル(Psychosocial Models)、②各関連要因の相互作用モデル(Interaction Models)、③経済学的モデル(Economic Models)、④社会学的モデル(Sociological Models)、⑤ヘルスプロモーションへの包括モデル(Implications of Utilization Models)の5つに整理している4)。
このなかで、「心理社会的モデル」とは、歯科受診・受療行動における患者の心理に焦点を当てるものであり、疾患に対する主観的な脅威と、対処行動への自信や有効性に関する認識が影響すると考える。それに対して「相互作用モデル」では、家族および友人・同僚からのサポートなど、その個人の社会的な環境を強調するものである。「経済学的モデル」では、行動は患者の選好に基づき、収入、治療費、治療に要する時間、診療室までの距離などが関連因子となる。「社会学的なモデル」では、歯科受診・受療に関わる準備因子(predisposing factors)として、年齢、性差、社会階層、教育歴、口腔保健に対する態度があげられている。また、実現因子(enabling factors)としては、所得、健康保険への加入状況、医療機関までの距離などに分類できる。「包括モデル」では、歯科受診パターンとその関連要因についての研究成果を、口腔保健プログラムや健康教育に生かしていくという試みである。
継続的なメインテナンスを促進する因子
これまでに述べたように、成人において歯科受診・受療の動機として、症状を自覚した場合と、歯口清掃指導、歯石除去予防、定期健診などのメインテナンスを目的とした行動では、その関連要因は異なることが示唆されている。
予防を目的とした歯科受診行動には、口腔保健関連QOLが良好であることと、過去の歯科受診に対するポジティブな経験が有意に関連するという報告もみられる5)。また、この受診行動が継続して行われ、あるいは受診経験の過程で予防を目的とした受診パターンへと変容するためには、提供される歯科医療サービスの質が重要となる。これは、患者満足度として表現されるものであり、患者・歯科医療者関係や医療者側の説明と患者側の理解という双方向のコミュニケーションが影響すると考えられる。これらの結果は、患者と医療者側の最初のエンカウンターと、患者の参加度を高めるコミュニケーションを通して医療サービスの質を継続的に改善していくことの重要性を示している。また、歯科受診パターンにおける行動変容に関して、患者対象研究でさらに追究する必要があると考えられる。
文献
1) 深井穫博:わが国の成人集団における口腔保健の認知度および歯科医療の受容度に関する統計的解析、口腔衛生会誌、48:120-142、1998.
2) 厚生労働省:平成11年保健福祉動向調査(歯科保健)
http://www1.mhlw.go.jp/toukei-i/h11hftyosa_8/index.html
3) Seldin LW.: The future of dentistry An overview of a new report、 JADA、 132、 1667-1677、 2001.
4) Petersen PE and Holst D: Utilization of dental health services、 Disease Prevention and Oral Health Promotion Socio-Dental Sciences in Action(Editors :Cohen LK and Gift HC)、1st edition、 Munksgaard、 Copenhagen、pp341-386、1995
5) 深井穫博、高江洲義矩:成人男性の歯科受診・受療に関連する要因、口腔衛生会誌、52、476-477、2002
(The Quintessence, Vol.23, No9, 1990-1991,2004)