行動科学・コミュニケーションへの招待
深井穫博
(深井保健科学研究所)
行動科学・健康学習理論に基づく健康教育
2005年1月、日本歯科医師会が「今後の歯科健診のあり方検討会」報告書を公表した1)。成人歯科健診の実施率と受診率の低さがその背景となっている。すなわち歯科受療率は、保健福祉動向調査(1999年)をみると、「過去1年間の受診・受療」者が41.1%であり、このなかで、検診や指導をその内容とする者は受診者総数の6.0%に過ぎない。また、老人保健事業としての歯周疾患検診(2002年)の市町村実施率は30.6%、その受診率は対象年齢の3.9%である。
これらの現状は、これまでの成人歯科健診プログラムの問題であるとして、う蝕や歯周病の発病に関わる行動的・環境的リスクを早期に診断して予防処置や口腔保健行動の改善を啓発するための、①1次 予防に寄与する歯科健診プログラム、②受診者の満足度の向上、③効率的で効果的な歯科健診、④行動科学・健康学習理論に基づく健康教育の導入、⑤地域における行政・職域・歯科医療機関の連携と生涯保健、が今後の指針として提言された。
がんばる・がんばれない
ところで、臨床の場面をみるとこの健康教育は、診断から治療、メインテナンスという体系のなかで行われる。しかし成人の保健行動は、容易に変わるものではなく、保健指導が成果をあげるには、良好な歯科医療者と患者との関係が前提となる。すなわち、医療者は患者に“治ってほしい、健康なままでいてほしい”と考える。患者は、“治りたい、もう悪くなりたくない”と願う。このお互いの気持ちが一つになると、その相互作用で、治療や予防の成果があがり、患者と医療者の満足とやる気が湧き起こる。お互いが“がんばろう”という気持ちになる。これが理想的な医療者患者関係だろう。
しかし実際には、いくら説明しても理解してくれない、不満な態度、治療の中断を繰り返す患者、治療に対する不安が解消されない、など“難しい患者”に出会うことも多い2)。これらの患者の心理過程はその人の生活背景や治療と症状に関わる経験を通して現れるものである。医療者側に求められるのは、治療や予防に関する個々の患者に必要な情報を詳細に提供することと、何よりも患者を理解しようとする努力である。
患者への思いの深さに求められる科学性
患者一人ひとりの行動と心の状態に思いを馳せたうえで、自然と出てくる医療者の言葉に患者は癒されるものである。保健医療における行動科学・コミュニケーションは、1950年代以降、米国を中心に急速に発展してきた3)。1.人々が保健医療サービスを理解し受容する過程、2.行動変容の理論、3.医療者患者関係、4.ヘルス・コミュニケーション技法、5.患者の不安、6.患者満足度、7.意思決定の共有など、いずれも日常の保健指導に深く関わる研究成果がこれまでの間に蓄積されてきている。
患者に対する思いの深さは、医療者としての経験と専門性に基づく対処の積み重ねで培われる。臨床という実践には、理論と研究成果に基づくことが必須であり、そのひとつとして行動科学・コミュニケーション研究の視点と手法をそれぞれの医療者が身につけることが今後さらに求められるだろう。
文献
1) 日本歯科医師会:「今後の歯科健診のあり方検討会」報告書,2005年1月
2) 深井穫博、高江洲義矩:臨床における歯科医師のコミュニケーション行動と認識、ヘルスサイエンス・ヘルスケア、4、54-58、2004
3) Glanz,K, Rimer,BK, Lewis,FM Edit.: Health Behavior and Health Education Theory, Research, and Practice, 3rd ed., Jossey-Bass, San Francisco,2002, pp1-40.
(歯科衛生士,Vol.29, No.8, 3, 2005.)