共に分ち合い、創り出すプロセス
-ネパールにおけるプロジェクトの概要-
深井穫博
歯・口の健康とヘルスプロモーション
“失って、始めてわかる歯の大切さ”としばしば表現されるように、歯・口の健康は、食べること(咀嚼・栄養摂取)とコミュニケーション行動などその人の生涯にわたる生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)に深くかかわる。しかしこの誰にでも身近な健康の課題は、同時にむし歯に伴う痛みや歯科治療への不安が想起されやすく、積極的な予防よりも、むしろ痛みへの対処などの消極的対応に陥る場合が多い。しかもこの歯・口の病気は、生涯を通して発病することが多く、その苦痛や煩わしさに対して一種のあきらめの感情に陥りやすい。これは、先進工業国においても開発途上国においても共通してみられることである。
一方、むし歯と歯周病は歯を失う最も大きな原因であり、自然治癒が期待できない蓄積性の病気であるために、歯の萌出直後あるいは疾病の初期症状での対応が効果的である。これらはいずれも口腔細菌叢のなかのある種の細菌が異常に増殖することによって歯の周囲に歯垢(デンタル・プラーク)が形成され、これが原因となって発生する。この歯垢の形成能の最も高い基質は、砂糖(蔗糖)である。そしてその予防法としては、科学的根拠のある方法が世界的に確立されている。むし歯には、(1) フッ化物応用(フッ素の利用)、(2) シーラント(歯の小窩裂溝填塞法)、(3) 甘味摂取制限の3つの予防法であり、歯周病に対しては、歯口清掃(歯垢と歯石の除去を、個人の歯口清掃と専門家の機械的歯口清掃とを組み合わせで行うこと)が最優先して取り組まれる方法となる。
すなわち、歯・口の健康づくりは、食生活での配慮と歯口清掃など個人が日常的に取り組める予防法であり、これを補う地域でのシステムと専門家の支援によって、確実に予防と健康増進を図ることができる。しかし、その国の保健政策のなかでの「歯・口の健康づくり」の優先度は低い場合が多く、効果的な予防法と健康情報が不十分ななかでの個人レベルの対応になることがしばしばみられる。
これまでネパール歯科医療協力会は、1989年から2005年までの16年間にわたり、現地の人々の歯・口の健康づくりを地域保健として行うための支援を続けてきた。主な対象地域は、首都カトマンズ近郊の農村であり、都市化に伴うライフスタイルの変化と砂糖摂取量の増加が急激に進行していて、しかも貧困と衛生状態、あるいは種族や女性の健康における較差の問題を抱えている地域である。本稿では、これまでの活動の意義とその成果について考える。
共に分かち合い、創り出すプロセス
ネパール歯科医療協力会は、1989年の1次隊から毎年1~2回のペースで現地を訪問し、NGO(非政府組織)としてプロジェクトを展開してきた。派遣回数は18回であり、13,173人に歯科治療を、51,819人の村人に健康づくりのための支援(ヘルスケア)を行っている。関わった現地の人々は約6万5千人にのぼるが、その一方でこれまで継続して活動してきた地域は、ネパールのラリトプール郡のなかでもわずかに4つの村に過ぎない。“小さな、しかし長期間のプロジェクト”である。そのなかでわたしたちはいくつかの活動の変遷を経験することができ、しかもそれを若い世代から年配者までのチームで行うことができた。現地での活動に参加した日本人隊員は延べ513名である。
国際保健医療協力の成果で大切なことは、現地の健康づくりのプロセスや住民の健康度の改善を中心とすることであり、あくまで活動の焦点は現地の人々の健康にある。しかしその一方で、「現地の人々のために」とか「ネパールのために」という日本人側からみると、自己犠牲や利他主義を基盤とした理念だけで活動を継続するためのモチベーションを持ち続けられるわけではない。実際にこれまで、日本人一人一人のメンバーが、自らが関わった場面で、新たな感動や何ものかに対する感謝の念を強くして帰国と次の出発を繰り返してきた。それは、例えば一人の患者がみせる感謝の表情であり、学校で指導した場面での子供達の眼のなかにある活力であり、あるいは、ネパール人のヘルワーカーが自立して活動している場面だった。
プロジェクトを行う際に、ゴールを設定して、そのためのストラテジーを立てて、一定期間後にそれを評価し、次のゴールをさらに設定する。このような中長期にわたるゴール設定型のアプローチは、西欧ではしばしば一般的な方法論となる。それに対してわたしたちの活動は、毎年1年間かけて計画と準備を行い現地で活動する、そしてその結果と反省を受けて次の計画を立てるという年単位の計画・実行・評価を繰り返してきた。それは、NGOの活動であるので長期間にわたる財源の確保が予測できないという状況と、そもそも異なった文化や風習のなかでの健康づくりには、日本人側の一方的な計画設定よりも緩やかに現地での反応をみながら行うことが実際的であると考えられたからである。そのため、活動はある面で試行錯誤を繰り返してきた。
その結果、これまで活動の内容は、調査・治療中心から予防中心へ、個人への対応から集団、そして地域単位の対応へと変化してきた。具体的には、(1) 歯科診療、(2) 口腔保健専門家養成、(3) 学校保健・フッ化物洗口、(4) 母子保健における展開である。
歯科診療における健康支援
わたしたちが活動してきた地域は無歯科医村である。無歯科医村といっても、国レベルでみても1999年になって始めてネパールに歯科大学が設立され、2004年から毎年約70名の卒業生が歯科医師として養成されるようになったという歯科医療状況である。活動を開始してからの15年間は、インドやパキスタンなど外国で歯科大学を卒業した者が帰国後に歯科治療に従事するだけであった。約2300万人のネパール人口における歯科医師数は250人(2002年)に過ぎない。多くの先進工業国では、人口2000人に1人の歯科医師が養成されているのと比較すると、明らかに歯科治療に関わるマンパワーが不足している。そして今後、歯科医師数が年々増加したとしてもその状況は直ちに解決されるわけではなく、村人が誰でも歯科治療を受けられる環境になるのは遠い将来の問題である。
もちろん、むし歯や歯周病などの歯・口に関わる病気がなければその治療従事者は少なくても良いが、実際に現地の村人の口腔内状態を調査したところ、20歳から60歳代のいずれの年齢層でも一人当たり約2本の治療しなければならないむし歯をかかえていることがわかった。歯口清掃が定着していない地域での歯周病による歯の喪失や治療を受ける機会が限られているためにむし歯が放置され咀嚼能力が低下することは深刻な問題である。さらには、この地域では都市化に伴う砂糖摂取量の増加で、子供のむし歯が急増することが予測された。このような状況が、協力活動としての歯科治療をわたしたちが続けている背景となっている。
しかし、現地で行う歯科治療は、給水や電力そして器材の制約された中で行われるものであり、その処置内容は活動の初期には投薬や抜歯に限定されざるを得なかった。それでもその後、継続した歯科治療を村で行うことで、住民の歯科治療に対する訴えにも変化がみられるようになってきた。すなわち、歯の痛みや抜歯に対する要望だけでなく、歯の清掃や歯石除去などの口腔衛生の改善を主訴とした受診がみられるようになってきている。実際に、2002年の16次隊(患者数897名)をみると、治療の内容は、抜歯、歯石除去、むし歯の充填処置が上位3項目であり、その対象者はそれぞれ204名、190名に、161名である。これらの歯科治療を通した支援は、村人の歯の痛みからの解放を主な目的とするので現地のニーズも高く、このことが村人とわたしたちと間の信頼関係の構築に寄与した側面は大きい。
一方、この歯科治療は、病気への対処の連続であり、根本的な歯・口の健康づくりへの解決にはいたらないことから、治療後の保健指導や、家庭訪問、路上での村人に対する健康教育、あるいは学校訪問などを繰り返す試行錯誤の期間が6次隊(1993年)くらいまで続いた。これらの試行的な活動と歯科治療を通して村人からの得た信頼が、その後の地域での健康づくりへと展開される契機となっていった。
口腔保健専門家養成
地域の健康づくりに対する最初の試みは、保健に関わる人材育成であった。保健医療従事者数の限られた環境のなかで、現地のリーダーが歯・口の健康づくりに対する基本的な知識と技術を身につけるための短期コースの開催である。そして、1994年の7次隊から口腔保健専門家養成コースを派遣期間中に実施することになった。開始初年度は、受講生は現地の簡易保健所の職員など公務員を中心として行われたが、受講生の学習意欲の面から翌年からは村の学校の教師を主な対象とする養成コースへと転換された。これまでに養成された口腔保健専門家は、2003年17次隊までの9年間で286名であり、そのなかで小学校の教師の占める割合は約60%である。
口腔保健専門家養成コースは毎年、わたしたちが現地で活動している期間に、歯科診療や学校歯科保健、母子保健などと併行して、テチョー村ヘルスプロモーションセンターで実施してきた。期間は1週間で、カリキュラムに従って行われた。教材にはネパール語と英語で書かれ現地で印刷した3冊のテキストを使用している。コースは、歯の構造などの基礎から始まり、むし歯や歯周病の原因と予防法などを講義と実習を通して学習する初級コースから開始された。さらに12次隊(1998年)からは初級コースの卒業生を対象にした上級コースが開講されることになった。上級コースでは、健康教育についての技術と具体的な教材づくり、さらには歯の検診法の習得などが取り組まれてきた。
幸いにも、これらの口腔保健カリキュラムは、教師の健康づくりに対する熱意と学習意欲から、短期間の研修であっても一定の成果があげることができた。受講後の養成コースに対する事後評価をみても、彼ら受講生の満足度と理解度は高い。しかしその一方で、実際に受講生が得た知識や技術を現場で展開するために、各校の校長や他の教師の理解と受講生同士の連携を望む声が多く、そのことが学校歯科保健における学校間較差の課題への取り組みとしてあらわれることになった。さらに、この各学校における養成コース卒業生が離職した場合の対応や、隣接する村を対象としたネパール人教師による口腔保健専門家養成コースの開催へと発展することになった。
また、13次隊(1999年)からは、母親(マザー・ヘルス・ボランティア)を対象としたカリキュラムが設けられた。この人材育成が村の乳幼児を対象とした母子保健・歯科保健への展開の原動力となっていった。
学校歯科保健とフッ化物洗口
学校における健康教育は、開発途上国においても先進工業国においても、個人が生涯にわたって健康を維持していくために最も効果的な対策の一つである。特に歯・口の健康づくりを中心とした学校歯科保健には、(1) 学齢期が永久歯列の完成期であり、この時期のむし歯発病リスクが高い、(2) その地域のほとんどの子供に対して集団的にアプローチできる、(3) 教師という人材がある、(4) 子供の発達段階・発達課題に即した教育とその評価システムがある、(5) 公的部門あるいは地域との連携が可能である、という特徴がある。しかも、この歯科保健教育は、食生活、衛生指導など日常的な健康習慣へのアプローチであり、その保健活動の成果を、歯・口の病気の罹患状況や保健行動として容易に評価できる。そのため、開発途上国において新たに学校保健を導入する際にも、歯科保健はその端緒として取り組むことができる分野である。
わたしたちがネパールにおいて本格的に学校歯科保健の取り組みを開始したのは、1994年の7次隊からである。日本人が毎回の派遣隊でテチョー村の学校を数校づつ訪問し、生徒への歯みがき指導と教師との話し合いの機会を持つことであった。その後、口腔保健専門家コースを受講した教師が各学校に養成されるにつれて、その活動は教師への課題設定へと発展し、年間を通した生徒への歯科保健指導がネパール人教師によって行われるようになった。その後4年間をかけて、その取り組みは村の全ての小学校で行われるようになり、1999年からの2年間でさらに隣村の全小学校でこのシステムが普及することになった。この6年の間に、学校歯科保健に関わる教科書づくりと保健活動の評価票の作成を行い、わたしたちの学校保健における協力・支援の活動は、日本人による生徒への指導から、教師との協議と評価作業へとその比重を移すことになっていった。
その過程で同じ村であっても、子供の健康に関する取り組みや環境には、学校間で較差があることがわかってきた。そのため、学校間の教師の連携や甘味摂取における母親へのアプローチという新たな課題が明らかにされてきた。そして「教師から教師へ」歯科保健に関する知識と技術を普及するという観点から、二つの村の口腔保健専門家コースを卒業した教師たちが中心となって、隣接する村での専門家養成コースの開催へと発展するようになった。すなわち、ネパール人による自立的な学校歯科保健プログラムの普及である。
一方、1994年に、村の小学校における歯科保健教育の導入に併せてもう一つのアプローチが開始された。その理由は、この地域では都市化に伴う子供の甘味摂取頻度の増加とそれに伴うむし歯罹患状況が急速に悪化することが懸念され、歯科保健教育を通して子供の健康行動や保健知識が十分に定着するまでには、長期間を要すると考えられたからである。むし歯予防に最も効果的な対策は、フッ化物(フッ素)の応用によって歯の質を強くすることである。このなかでも利便性の高い方法はフッ化物配合歯磨剤(フッ素入り歯みがき剤)の使用である。しかしこの方法には、各家庭が歯磨剤を購入できるだけの経済環境が必要となる。そのため、わたしたちの活動している地域では、より費用対効果の優れているフッ化物洗口法が適していると考えられた。これは、洗口液(0.2% NaF溶液)を準備し、各学校で毎週1回そのフッ化物溶液で1分間洗口をするという方法である。極めて簡便な方法であるが、難しい点は薬剤を安全に管理することと学校における毎週の継続である。
1994年12月の7次隊で、これまで活動に積極的に参加していた二人のネパール人に、薬剤の調整と洗口方法に関わる指導をわたしたちが丁寧に行った。何しろ彼らにとって始めての方法であり、派遣期間内という短期間で、果たし技術の伝達ができるかどうか不安をかかえてのスタートだった。しかし彼らの実施に対する意欲は高く、その年の1月からテチョー村の一つの小学校で人数を限定して行うことになった。そして、その夏にネパールでわたしたちがみたものは、フッ化物洗口を完璧に行っている生徒たちの姿だった。その後、この二人のネパール人が中心となって薬剤の配布や実施の評価システムも順次改善しながら普及を図り、現在では5つの村の小学校で約5,500人の生徒にこのフッ化物洗口が実施されるようになっている。フッ化物洗口法のむし歯予防効果は、実施期間によって異なるが約55~80%とされ、歯科治療のチャンスがほとんどない子供たちにとってその意義は高い。しかもこの方法を実施してみると、単にむし歯増加の抑制だけでなく、毎週の取り組であるので、生徒や教師への継続的な健康教育にも極めて効果的であることがわかってきた。
2003年から2004年にかけた約850名の生徒の歯・口の健康状態と保健行動に関する評価作業の結果をみると、村の11歳~13歳児では95%以上が毎日の歯みがきを行い、むし歯や歯周病の予防に関する知識も80%以上の生徒がよく理解しているという結果であった。ビスケットなどの甘味摂取頻度をみると、約20%の生徒が「毎日食べる」という結果であり、「週1回~3回程度」という者は約40%であった。歯・口の健康状態をみると、一人当たりのむし歯の数は約0.8本であり、1994年からの10年間で甘味摂取に関わる環境が急激に変化したにもかかわらず、低いレベルに抑えられていることが示された。
これらの学校歯科保健の導入は、生徒への保健知識の定着と保健行動の獲得ばかりでなく、「上級生から下級生へ」、あるいは「生徒から保護者へ」の保健知識の普及にも効果があり、地域ぐるみの保健活動を促進する端緒となっていった。
母子保健と歯・口の健康
乳幼児から学齢期までの子供の健康づくりに母親の果たす役割は大きい。しかも、子供の健やかな成長を願うことは人間として自然の感情であり、いずれの国においても住民のニーズは高い。しかし、開発途上国においては、安全な出産や衛生環境と低栄養に基因する感染症など母と子の命にかかわる問題を抱えている国は多く、母子保健はプライマリ・ヘルスケアの基本的な活動項目とされている。
医療環境や上下水道の整備などの社会開発が短期間では期待できない国では、母親の健康づくりに関する知識と技術は、暮らしの中の知恵として世代間や地域での交流を通して獲得され受け継がれる。しかし時として誤った健康情報が地域の風習として伝えられている場合や、都市化などの急激な環境の変化に対処できないことがある。
わたしたちは1989年の活動の当初から、栄養学分野の研究者が中心となって村人の食生活や生活スタイルの調査を行ってきた。当時は、村人は伝統的なネパールの農村にみられる自給自足型の安定した食生態を維持していた。早朝に朝茶としてネパール茶を飲むとき8~10g/日/人の砂糖を入れていた程度で、料理などには砂糖は加えていないし、甘いものを店で購入して食べるような習慣も目立たなかった。ところが、1997~1998年にかけて調査してみると、村人の7割近くが15~30g/日/人の砂糖をネパール茶やビスケット、キャンディーなどのお菓子のかたちで摂取していることと、学童ではその半数がこれより5~10g多い量の砂糖をさまざまな加工食品から摂取していることが判明した。さらには子供たちが学校へ持参する弁当をみると、それまではタルカリやアチャールなどの伝統食を持って行っていたが、この時期になると伝統食だけの弁当のスタイルを維持している家庭は3割以下であり、その上、子供たちは親からもらった小遣いでお菓子やラーメンを買い食いすることもみられるようになった。
このような状況が明らかになったのは、ちょうど学校歯科保健がテチョー村から隣村のダパケル村へとその活動が広がっていった時期である。母親へのアプローチで学校保健と異なる点は、女性の識字率や社会参加の問題と、各家庭の育児に関わることなので集団的には対応できないという難しさである。しかし村には、各ワード(区)から推薦されたマザーボランティアグループがあり、わたしたちとは活動の初期から生活実態調査や栄養指導を通して協力関係にあった。そしてこのマザーボランティアたちから口腔保健専門家養成コースへの受講の要望があがり、1998年13次隊に彼女たちのためのコースが開催されることになった。内容は、歯口清掃と「砂糖とむし歯の関係」を理解するための実習を中心としたコースから始められた。
二つの村でこのマザーボランティアを対象としたコースが実施された後の2001年からは、新たな母子保健プロジェクトがスタートした。乳児の体重測定と母子手帳の配布を柱としたプロジェクトである。現地調査の結果、村には離乳期の低栄養にために成長の遅れがみられる乳幼児がいることがわかった。そして村には簡易保健所での体重測定と記録のシステムは一応あったが、それがうまく機能していないことも判明した。そのためのアプローチとして二つの村で3年間をかけて、マザーボランティアが各ワードで定期的に乳児の体重を測定しそれを記録するトレーニングが取り組まれた。体重測定と記録は、一見簡単なように思われるが、実際に識字率の低い母親がそれを理解するには、時間をかけた研修が必要であった。このトレーニングの過程で、口腔保健専門家養成コースを受講している学校教師が協力してくれるようになり、母親への教育効果を高めるものであった。この体重測定と記録のプログラムと同時に、マザーボランティアに対する乳幼児の歯の清掃指導と記録に関するカリキュラムにも取り組んでいくことになった。そして、2004年には、マザーボランティアが村の各ワードで定期的に乳幼児の体重を測定し、歯口の清掃を行い、しかもそれらを記録するという能力が付与されるようになっていった。
ところが、2004年12月の18次隊で、5才以下の未就学児、特に乳幼児の離乳食について調査したところ、都市化によるライフスタイルの変化は、急速に乳幼児の食生活を変えている実態がみられた。これまでは村での離乳食には味つけは特にしていなかった。リトやジャウロを組み合わせて、とても上手に離乳を各家庭で行われていた。ところが意外なことに、今の若い夫婦は核家族化していて、子供は1~2人まで、共働き(夫は町へ、妻は村で畑仕事やパート)が多く、食事づくりなど育児には、お金ですませられることはなるべく合理化して簡単・便利にすませようとする傾向がみられた。リトの代わりに市販のサルバタン・ピト、ジャウロの代わりにビスケットや味つけインスタントラーメンのような加工食品を利用しているという例がみられるようになったのである。
そして学校教師と協同して村の低栄養の乳児をさらに調査したところ、その背景には貧困よりもむしろ家族形態や食に関する誤った知識に基因していることが判明し、母子保健における離乳食を中心にしたアプローチの重要性がますます増加している現状を示すものであった。
ゴールに向けた二つのアプローチ
健康に関する国際協力と支援は、現地のニーズ・社会資源・文化に基づいて行うことが原則であり、援助や支援する側が一方的な価値観と技術を提供することにはかなりの配慮が必要であるといわれている。そして地球レベルでみた健康の較差の多くは、貧困に基因するものである。
この16年に間に、わたしたちが現地で見たものは、“貧しさの中にも豊かさがある”という反面、“貧しさのなかに、さらに貧しさの階層をつくる”という社会構造である。この種族に代表される社会階層は、限られた社会資源を有効に活用するための分野間の連携を阻む大きな壁のように思われた。しかも現地のニーズは、痛みとか、その場の収入という目の前の課題に限定される傾向があり、病気の予防や地域で健康を創り出すシステムづくりには長期間の展開が必要であることがわかってきた。そしてその過程は、(1) 援助側主体の段階、(2) 共同作業の段階、(3) 現地自立の段階として推移していくと考えられる。
わたしたちの活動は、NGOとして“まずできることから始める”、その後、次の展開を模索するという試行錯誤の繰り返しであった。しかしその過程で、ひとつのプロジェクトがきっかけとなってさらに新しい展開を生まれ、個々のプロジェクトが連携して動き出すことや、種族を超えた学校間の交流と教師と母親との協同作業などが自然発生的に生まれる場面を経験することができた。それは、日本人とネパール人が、そしてネパール人同士が、健康という価値を共有していくプロセスであったように思われる。今後の当面の活動の課題は、地域における母子保健と学校保健の統合であり、そのシステムを現地のプライマリヘルスケアをさらに展開するために活用していくことである。もう少し長期的な課題は、これらの成果を現地の歯科医師など専門家に伝えていくことである。
この数年間、わたしたちは活動のゴールを探ってきている。ひとつのゴールは、あくまで現場に立脚して、村の人々が自立して活動するプロセスを共有し続けるというものであり、わたしたちの役割が相対的にかぎりなく小さくなることにあるという考え方である。もうひとつは、これまでの“小さなしかし長期間”にわたる経験と成果をわかりやすいパッケージにして、それを政府や関係機関に示すことで政策提言へとつなげるというアプローチである。これらの二つのアプローチは、二者択一ではなく、いずれもが求められている活動のゴールである。後者のアプローチは、現場主義のわたしたちには苦手なものであるが、これまで一緒に活動してきたネパール人に対しての私たちの責務であるように考えられる。そして、その過程を現地の人々と共有できるという事実が、わたしたちの歓びをさらに喚起してくれる。
参考文献
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