歯科保健医療に対する人々の期待
深井穫博
(深井保健科学研究所)
日常の臨床の場面や地域保健に関わる活動のなかで、保健医療の専門家としての歓び(rejoice together)が喚起されることがある。たとえば、患者は自分の訴えや自己表現を医療者の前では、なかなか伝えられないものであるが、その表情や態度で、あるいは会話のなかで、受診者が「満足しているのではないか」と感じたときである。地域保健の場面では、ヘルスケアの参画者が、プログラムの成果を実感して、それを表現してくれた場合である。この「あなたの健康は、わたしの健康である」ということに対するawarenessは、限りある資源のなかで、ケアの質を向上していくための重要な要素であり、ヘルスプロモーションにおける「健康の分ち合う価値(shared values)」の問題である。そして、人々の満足度には、保健医療の専門家に対する同意の程度(compliance)よりもむしろ、自己決定の度合いと主体的な経験と行動が大きく作用している側面がある。
患者満足度研究は、1960年代からのマーケット・リサーチ研究を端緒として、1980年代以降、保健医療の領域でも盛んに研究展開がみられている。この背景には、「量から質」への時代の転換のなかで、医療の質を患者の視点で評価し、保証・改善していく試みであり、しかも治療の根拠(evidence based)と患者の自己決定権(informed choice)をいかに確保するかの問題がある。これは、患者の医療への参画である。この医療に対する満足度は、期待度と表裏一体をなすものであり、この期待は、その地域の保健医療サービスの量および質、あるいは歯科受診・受療経験によって左右され、健康情報のレベルに影響を受けて形成される。しかも、期待の度合いには一定の幅があり、そのサービスに対する本人が自覚する重要度で異なる。重要と考えているサービスに対しては、期待のレベルが高く「許容できる範囲(zone of tolerance)」も狭い。継続的な歯科受診・受療が、その人の口腔保健の認知度を高めるものであれば、同じレベルのサービスが続けられた場合には、当初の満足は、いずれ不満への変化していくことがある。これは、臨床におけるヘルスケアのあり方ばかりでなく、地域の保健政策(health policy)にも関わる。
一方、人々や患者の口腔保健に対する期待や認識を、選好度として評価する方法(preference based)がある。選好分析(preference analysis)であり、具体的には、評価尺度(rating scale)、スタンダード・ギャンブル(standard gamble)、タイム・トレードオフ(time trade-off)などの手法である。この人々の「選好」は、これまで病気に対する恐れや自己効力(self efficacy)などの主観に焦点をあてて展開されてきた保健行動モデルのなかに、今後どのように組み入れられるかが課題であり、しかも、この「選好」は、健康情報が十分な場合、情報が提供されていない場合、あるいは個人の偏見などのバイアスがかかってしまう場合では異なる。
人々や患者のニーズに対応した保健医療のためには、人々の視点を、保健医療の専門家がさらに追究し(ask the layman, ask the patient)、臨床や地域保健における意思決定のなかで、人々と専門家の相互が参画したヘルスケアが求められる。