健康プロジェクトの計画・実行・評価について
─ネパールにおける歯科保健医療協力の現場から考える─
九州歯科大学生理学講座助教授
中村 修一
はじめに
健康プロジェクトは理論的存在ではなく実践的存在である。理論的背景にもとづいて健康プロジェクトを展開しても、経験と勘を根拠に健康プロジェクトを展開しても、それがフィールドで機能するならば、全て肯定されるべきである。プロジェクトがフィールドで機能したかどうかは評価によりきまるが、評価がどのようになされるかが重要になる。
筆者はネパールにおいて歯科保健医療協力を行なっているが、過去13年間の経験をもとに健康プロジェクトの計画・実行・評価について考察した。
ネパールでの活動の概要
1989年から始めたネパールにおける歯科保健医療協力は、これまで14回のミッションを現地に派遣し26,838人の村人に歯科診療(10,041人)や保健活動(16,797人)を行った。この間参加したボランティア隊員は延べ344人である。隊員の職業別構成は歯科医師151人(43.8%)、歯科衛生士74人(21.4%)、研究者56人(16.2%)、学生31人(9.0%)、看護婦・保健婦・助産婦17人(4.9%)、その他15人(4.3%)である。
現在実践している保健医療プロジェクトは、1) 歯科診療、2)予防歯科、3)学校歯科保健、4)フッ素洗口、5) 現地口腔保健専門家養成、6)地域歯科保健(マザーボランティアグループによる)、7)現地口腔保健専門家の養成(ヘルストレーニング)、8)テチョー村とダパケル村における歯の健康大会を開催する、9)母子保健、10)ヘルスプロモーション委員会(村の代表、NATA(カウンターパートのネパール 結核予防会)代表、日本人専門家、現地歯科医師)の開催、11) 調査活動、12) ボランティア歯ブラシ製造工場設立調査準備など多岐にわたる。
これらの事業は13年間の活動経過を経て到達したもので、過去の活動の変遷をみると、事業はメディカルケアからヘルスケアへ変容し活動の主体は日本人が中心となって展開する依存型から現地住民の参加のもとに自立型口腔健康活動へと移行しつつある。特に自立化に向けた口腔保健専門家の養成事業は1993年からはじまり現在テチョー村、ダパケル村、アネコット村の全ての小学校に養成コースを卒業したオーラルヘルスワーカー(OHW)(約130人)を配置し歯科健康教育を展開している。
なぜ13年間継続できたか
13年間継続できた理由の第1は「人」である。1989年から14回のミッションに参画した隊員の延べ数は344人である。最近5カ年の参加隊員は平均40人を越える。隊員は北海道から鹿児島まで日本全国から参加しているが、全て自発的(ボランティア)参加で定員をオーバーし参加を断ったこともある。また、歯科医師の所属や出身歯学部数は20を越え歯科学際的事業であることを意味している。これは日本の歯科関係者が国際協力に対して理解と参加意欲があることではなかろうか。344人の参加隊員が現地で直接顔の見える国際協力を行ったが、背景に隊員のコミュニケーションが円滑の行われた事をあげることが出来る。
隊員は一度参加すると継続して参加する傾向がある、二度以上参加した隊員は全体の39.6%をしめ、5回以上参加した隊員13.9%おり、これらの隊員はミッションの中心メンバーとして健康プロジェクトをリードしている。
また、現地のカウンターパートや村人やへルスワーカー達との関係も良好であり、1次隊以来大きなトラブルは一度も起きていない。文化の違いを越えて健康プロジェクトを創造することは相当困難であるが、そのためには目的を明確にして相互理解を惜しまない努力を継続したことが、良い結果につながったと考えている。隊員とネパールスタッフの個人的な関係をベースとして相互信頼を構築することが最も大切である。理論の前に人間関係の構築が優先されるべきではないか。健康プロジェクトの推進は最初に人間関係の構築、ついで健康理論ではなかろうか。
第2の要素は「資金の獲得」である。一次隊からこれまでの活動事業費は1億7千538万円である。これらの資金はボランティア隊員の個人負担、ネパール歯科医療協力会会費、一般からの寄付に郵政省や外務省の資金援助で運営した。このうち総務省郵政事業庁や外務省など国の機関の援助金が6千442万円と大きな割合を占める。国からの援助金の獲得には事業計画に基づく複雑な申請書と事業後の事業報告書や会計報告書を提出する必要がある。しかも単年度制なので事務処理が大変であるが、筆者はこれを逆手にとって報告書をシビアな評価としてまとめ、評価に基づく新年度の事業計画を立案し予算申請を行った。実際の事業と資金獲得の申請書に整合性を持たせた。この結果継続して援助金を獲得できプロジェクトも円滑に進めることが出来た。資金とプロジェクトをいかに合理的に結びつけるかが健康プロジェクトには有効である。
第3の要素に「理論」がある。主体は途上国援助であるので「国際協力理論」が必要である。国際協力理論は国際人道主義に基づく自立支援をどのように展開するかであるが、これも100点満点の理論は無い。
国際協力における保健医療援助理論として1978年にPHCプライマリーヘルスケアがWHOで採択されたが、筆者らはこのPHCと1986年オタワで採択されたHPヘルスプロモーションをベースにしている。プロジェクト立案にあたっては、PHCとHPの2つの健康戦略を絶えずフィードバックして用いた。しかし事業の最初から参考にはしていない。プロジェクトは生き物であり成長と発育を行うが、3次隊から5次隊にかけてプロジェクトの背景に健康理論が必要となり応用した。その結果上手く行った。まず、手でさわり、眼で視てかかわり、考え悩むと自然に理論を受け入れる時がくる。その時一気に勉強するのが健康プロジェクトには有効ではなかろうか。
第4の要素に「物」がある。歯科医療は比較的多くの診療機材を必要とする。また、現地ではとにかく物を欲しがる。診療機材は初期の段階で経験をもとに必要な診療機材を少しづつ整えていった。また1994年にテチョー村にヘルスプロモーションセンターが建築され活動の拠点が出来た。現在、ヘルスプロモーションセンターの倉庫には812種類の機材を保管しているが、現地でのプロジェクトが進展するに従い、日本では必要な機材であってもネパールではあまり必要でない機材があることに気づいた。そこで途上国用に歯科診療基準の策定を進めると共に機材の削減をはかった。また、現地での物品援助は最初から極力避けてきた。物の援助は依存性を高めことになる。技術移転を進めることにより自立を推進しようと計ったがこれは成功であった。しかし、現在も筆者らの診療機材は頭の黒いカラスから絶えず狙われている。
以上が13年間継続出来た主な理由である。結局まとめると人を中心に金、理論、物をいかに円滑に運用するかがポイントになる。
健康理論は役にたつか
健康プロジェクトを進めるには、理論と実践をバランス良く展開することが重要である。国際歯科保健医療協力のバックボーンとなる理論には国際協力論と健康論がある。
1)国際協力理論と健康理論
国際協力は第二次世界大戦以降、欧米により進められてきた。日本も途中から参加し莫大なODA政府援助を行っている。国際協力とは途上国が貧困からの脱出する過程を援助assistance (協力cooperation)することで、基本理念に人権と民主主義をおき貧困から脱出する経済開発を工業化で達成しようとするものである。 具体的には西洋近代化の手法を導入するもであるが、戦後56年が経過した現在途上国(世界の80%の国)の貧困からの脱出は達成されていなばかりでなく、アフガニスタンの問題にみれるように民族を含む社会構造は益々複雑になり解決への道は遠い。しかしながら、開発の方法に問題があるにせよ、人権尊重・自立支援の理念は正しいもので、21世紀の国際協力指針として通用する理念である。
健康理論に関してはWHOの健康の定義(1946)、PHC(Primary Health Care1978)、HP ( Health Promotion1986)の3つを導入している。どれも優れた理論である。しかし、PHCもHPも到達目標を西暦2000年と設定したが、21世紀の始まりの年を迎えた今日の世界は貧困と戦争が消えず、地球上の80%越える途上国の人々は飢えと貧困のなかにある。では、これらのWHOのPHCやHPの健康戦略は失敗であったのか?結論から言えば失敗ではなく理想が高すぎて応用できなかったと筆者は考えている。PHCとHPは住民主体の参加型健康戦略であり、21世紀に継続して応用すべき優れた理論と言える。
国際保健の現場で応用するには時機と内容選択を慎重に行う必要があると思う。
2)ネパールでのプロジェクトに理論は役にたった
13年間の活動を通して理論は計画の立案や評価作業に導入したが有効であった。しかし、PHCやHP理論は難解であり隊員が理解し応用するには困難な面が多い。筆者らはPHCやHPの細かいところは捨てて理念を表している簡単なキーワード「住民ニーズ」、「住民参加」、「資源の有効活用」、「調停と統合」、 「advocate」、「enable」、「mediate」、「自立支援」、「個人技術の開発」などを利用した。これらのキーワードを計画・実行・評価の過程で絶えずフィードバックし応用したが、各ステップで大いに役にたった。
3)理論の導入には時機がある
ネパールの健康プロジェクトはいくつかのステージを経て現在の自立型プロジェクトに至ったが、この過程で理論は最初から使わず途中から導入した。活動の初期のモチベーションは興味と情熱と志だけだった。
とにかく現場に立ち、調査を通して疾病構造を知り、村人との係わりのなかで彼らの健康観や健康ニーズを模索した。これらの情報を評価し次のステージで歯科診療を充実させた。診療システムの開発は比較的容易であった。しかし、次のステージのプロジェクト内容をメディカルケアからヘルスケアに変容する時、健康理論が必要になった。健康の現場では必要な時機に理論を欲することを実感した。その後は健康理論の キーワードとのつきあいが今日まで継続している。理論と実践が一体になった。
4)理論と実践のバランスが必要
国際保健に参画するメンバーに理論からはじめる人と行動からはじめる人がいる。ODAなどは到達目標を明確にした理論が必要であろう。しかし、NGO活動に参画した344人のメンバーのうち理論をモチベーションとして参画した者は数名で、残りの圧倒的メンバーは情緒的モチベーションで参画している。しかし、プロジェクトには理論も必要であり、実践と理論のバランスが肝要である。また、活動を経験した隊員が理論を身近なものとして理解し、共有することが必要である。実践を通しての理論構築は強力である。
プロジェクト展開と単年度制
筆者らが展開したネパールでの15回のミッションでは計画・実行・評価を1つのパッケージとして単年度制で実施した。プロジェクトにおいて資金の獲得は事業を成功させる重要な要因の1つである。資金の獲得はNGO活動のアキレス腱であると言える。筆者らはプロジェクト総費用の40%前後を外部機関からの援助金に依存している。国の場合資金の運用は単年度制であるので、実施年度1年で申請書、中間報告書、事業完了報告書を提出しなければならない。膨大な量で厳しい作業であるが、資金の獲得を避けてプロジェクトの遂行は不可能なので、資金申請作業と実際のプロジェクトを一体化させた。年度制なので1回のミッションを自己完結型プロジェクトとして運用した。毎回、プロジェクト終了後大きなエネルギーを集中して評価作業を行い事業報告書を作成した。評価は主要メンバーが何度も集まり真剣に行った。この評価を元に次年度の事業企画を作りこれをベースに援助金の申請書を策定した。例年プロジェクトは年末から年始にかけ実行するが、申請書の締切は3月末日であるので、帰国後の3ヶ月は評価と申請書の作製で慌ただしく過ぎたが、この作業がプロジェクト遂行のポイントとなった。1月に帰国後、2月の下旬にプロジェクト基本計画を決定し、隊員公募を行った。3月下旬にプロジェクトの細目を整え隊員を決定し担当を決め、12月に実施するプロジェクトの日程表を作った。3月下旬に決定した計画の実施率は90%を越える。この単年度完結制でプロジェクトを展開したが、その都度プロジェクトは計画・実行・評価を行うことになった。当たり前の事であるが、ボランティア参加のNGOグループのプロジェクトとしてはけじめのある健康開発プロジェクトと言える。4月から出発の12月までは、新人の研修会や学会発表、各プロジェクト別準備作業にゆっくりと取りかかることができるメリットがある。また、毎回のミッションには中心となるプロジェクトを決めて重点的に開発を行った。
健康プロジェクトは成長・発育する
ネパールでのプロジェクトについて、過去13年間の経緯を見ると、活動の内容はメディカルケアからヘルスケアに進展し、活動の主体は依存型から自立型に移行しつつある。これは、活動の初期には想像もつかなかった現象である。また、方法論を文献に従ったこともない。前項で述べたように単年度完結型でプロジェクトを計画・実行・評価に従って素直に展開した結果、このような活動の変遷になった。開発はプロジェクトメンバーの参加型展開、現場へルスワーカーの養成など人的要素が中心となっている。
おもしろいことにテチョー村では学校歯科健康プロジェクトと口腔保健専門家の養成プロジェクトが個別にスタートしたが、2年後に現場である村の小学校で2つのプロジェクトは機能的に融合し、統合された子供の歯科保健プロジェクトとして新しい展開を見るようになった。また、口腔保健専門家の養成プロジェクトが進むにつれて、テチョー村とダパケル村のマザーボランティアグループが自発的に口腔保健専門家の養成プロジェクトに参画し、村の成人を対象とした口腔保健への道が開けつつある。これは予期しなかった出来事である。
このように、とにかくプロジェクトを進めると、計画に基づかない思わぬ力が働いて、勝手にプロジェクトが成長・発育することを筆者らは現場で感じている。また、プロジェクトの発展とともにこれに携わるスタッフ自身も受動的かつ能動的に成長する。これが健康プロジェクトの楽しみである。そのためにも計画・実行・評価の過程を踏まえたプロジェクトの遂行が必要になる。
しかし、メンバーが現場でプロジェクトに集中できる為には隊の運用面でのバックアップ体制が不可欠である。メンバーシップとリーダーシップの相互作用、資金の円滑な運用、現場での安全で快適な生活(食事や宿泊)、機材の周到な準備と展開など、資源の有効活用はプロジェクトに必須のファクターであり、かなりの経験とエネルギーが必要になる。さらにNGO活動を支える日本での組織作りと運用も大切であり資金の獲得と人材確保のベースである。資金や人材の獲得とシステム運用は決して安易なことではなく、健康プロジェクトに等しい配慮と運営をしないと支障をきたし、プロジェクトそのものが崩壊する危険性がある。このように健康プロジェクトは現場での活動と共に、水面下の組織運用システムが円滑に作動しないと、有機的展開や成長・発育につながらないと思う。成長の陰に人あり。
まとめ
筆者らのネパールでの国際歯科保健活動に関してなぜ継続できたのかを分析した。継続の鍵は「人」である。しかも、志を高く持って隊員同士が協力し目標を定めプロジェクトを遂行することが必要である。また,事業は単年度完結型プロジェクトが有効であった。さらに、プロジェクトは自動的に成長・発育することがわかった。これらの小さな経験は、日本の歯科保健に応用できるのではないかと期待したい。
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