再石灰化の意義
─Implication of remineralization─
飯島 洋一
長崎大学歯学部予防歯科学講座
歯科保健医療の課題は数多いが、その中でわかっていて然るべきなのに数量的な解明がほとんど進んでいないものの一つに歯科における受療行動 齲蝕は二極化の傾向にあります。小児を中心とした歯冠部齲蝕の量の減少,症度の軽症化傾向という事実と,高齢者における歯根部齲蝕の量の増加傾向が予測されています。両者の初期齲蝕に相当する脱灰病変が,脱灰によって失われたミネラルを再び回復する現象が再石灰化であり,臨床的には脱灰によって白く見えた病変が見えなくなることもあります。再石灰化現象は口腔機能にそなわっている生体の防御機構の一部ですので,これを積極的に発現させる再石灰化処置は,本当の意味で非侵襲的処置になります。再石灰化は,マクロの視点からは齲蝕の疫学や臨床的処置と関係し,防御機構の解明にはミクロの世界のできごとを知る努力が必要になってきます。ここでは,ヘルスサイエンス&ヘルスケアの側面から再石灰化の意味するところを起稿してみたいと思います。
1.目に見える予防
予防処置を行った結果は,充填・填塞や義歯装着のように目に見えないという表現を専門家から聞くことがあります。これは齲窩に充填処置を行い,欠損歯部位に義歯を作製してきた長い習慣から,思考までがその影響を受けているのかも知れません。齲蝕の量・質ともに蔓延状況が改善され,初期症状である脱灰病変が注目されるようになり予防処置が見えるようになってきました。脱灰病変は歯科関係者が他覚的に早期発見できる,と同時に,予防処置を必要とする本人も視覚的にも確認でき,その存在を自覚できるということは本人あるいは保護者に予防管理に対するcomplianceを得るうえでも好都合な条件です。
脱灰病変は,臨床的には齲蝕の3大好発部位に一致してエナメル白斑として観察される。付着している歯垢をPTCで除去し,Airで乾燥することで,コンタクトに重なる隣接面の場合を除いて,見つけることができる。初発の脱灰性エナメル白斑は,字のごとく白くみえます。白く見える理由は,光学的には光の乱反射です。後述する表層下脱灰病変の特徴として,脱灰部分のスペースに唾液が浸透していると乱反射は弱くなり,白さも減弱します。Airで乾燥するのはそのためです。「くもりガラス」の表面に水をかけると白さが弱まるのと同じ理屈です。
前回の来院時にはない咬合面,歯頚部,隣接面の白斑を,Recall期間によりますが,理想的には最短間隔で発見することが本来の意味の「早期発見」です。したがって,定期健診システムがあること,前回の記録があること,比較ができることが前提になります。厳密ではなくとも,ある程度は規格化された口腔内カラー写真の存在は欠かせません。正確な記憶だけでなく,正確な記録が必要です。
脱灰病変は視覚的に確認できるますが,再石灰化はどうでしょうか?脱灰によって失われたミネラルが回復することは,白い色の変化として確認されることが期待されます。これまでの疫学的研究からもそのことが確認できます1,2)。初期齲蝕であるエナメル白斑は,健全にまで回復する可能性を有する病変です。この意味では,齲蝕は従来から指摘されてきたような不可逆的疾患ではなく,初期齲蝕は可逆性を有する疾患(Reversible Caries)です。その変化を視覚的にも実感できる疾患です。
2.歯冠と歯根で異なる機構
エナメル質齲蝕から象牙質齲蝕へと進行する歯冠部齲蝕とセメント質に始まり歯根象牙質へと進行する歯根部齲蝕とでは,再石灰化機構に違いがあります。セメント質ならびに象牙質はセメント芽細胞・象牙芽細胞という名称が示す通り,生きた組織です。エナメル質とそこが違います。ただし,歯根露出があると,歯根膜に栄養依存しているセメント質は失活し,剥離,脱落しますので歯根部象牙質が直接露出することになります。生活歯の場合,歯髄は陽圧であるため,歯髄液が歯髄側から外側へ還流します。この歯髄液が再石灰化液として作用します3)。すなわち,歯髄液も歯質・ハイドロキシアパタイトに対して過飽和の条件を有しており,歯質内部からの再石灰化機構を有し,酸ならびに細菌の歯髄側深部への侵入を阻止する役割を果たしています。これに対しエナメル質は,同じく過飽和条件を有する唾液が外部から作用し再石灰化機構が働きます。したがって,歯根象牙質では内側・歯髄液と外側・唾液の2方向から,エナメル質では外側・唾液から1方向です。
また,エナメル質と象牙質とでは臨界pHが異なることが知られており,エナメル質は5.5付近4),象牙質は6.7前後5)と報告されています。象牙質の方が,溶けやすい性状であることを意味しています。象牙質を構成するミネラルはエナメル質と同一ではなく,MgやCO3の含有量が多く,結晶のサイズも小さいことも溶解性を高めています。これらの諸点を要約したのが,表1です。
両者の酸に対する反応性の違いがあることを考慮すると,歯根露出がある場合,歯根象牙質の齲蝕予防が歯冠部より優先されることになります。また,歯根象牙質の初期齲蝕の発現はエナメル白斑のように明確な色調の変化としては確認できません。また,再石灰化発現につても色調変化は確認できません。本来の象牙質色が強いためです。歯冠部の初期齲蝕は見える変化ですが,象牙質は視覚的には見えない変化をすることを念頭に置く必要があります。
3.液体エナメルと緩衝溶液である唾液
唾液は再石灰化反応にはなくてはならない存在です。第一の理由は,ミネラル含有量です。歯質・ハイドロキシアパタイトと共通のイオンを過飽和に含有しています6)。唾液は液体エナメルであり,脱灰した歯が再石灰化するのは,唾液がこのような特質を持っているからです。
さらに,特筆すべき唾液の性状は再石灰化能だけでなく緩衝能を有することです。緩衝能は脱灰抑制に関与します。唾液緩衝能の中心は重炭酸イオンであり,これが次式のように水素イオンを消費し,さらに唾液中の炭酸脱水酵素が生成された炭酸を二酸化炭素と水に分解します。
HCO3-+H+ HCO3 H20 + CO2
この酸アルカリ度の調整方法は,血液中のpHコントロールと同じ機構です。生体ではこのことを肺で行っています。最近の研究でこの緩衝作用が,エナメル質表面に存在する唾液タンパク由来のペリクル内でも働いていることが確認されました7)。歯質が脱灰する直前で水素イオンを消費し,脱灰を抑制しようとする防護反応です。
歯垢が常時存在し,発酵性糖質が供給される口腔環境では,酸はペリクルを透過して歯質をアタックし脱灰病変を形成します。特に歯垢直下の脱灰病変内部には脱灰に関与した酸がいまだ残留しています。この緩衝能が表層下脱灰病変内部でも作用することになれば,水素イオンを脱灰病変内部で消費することになり,歯質にとって一段と脱灰抑制効果が高まることが期待されます。唾液が水素イオンを緩衝するという科学的事実とフッ化物の耐酸性効果とをヘルスケアの一環として併用したのが二段階処置法である。すなわち,重炭酸イオンにより脱灰病変内部の酸性条件を緩和後に2ppmフッ化物イオンを含有する再石灰化液を応用した場合,脱灰病変全層にわたる耐酸性が獲得されます8)。これによって耐酸性を飛躍的に改善することができた。このin vitro実験結果の再石灰化療法の臨床における意味あいは,次のように解釈されます。1.歯垢を機械的に除去し,2.脱灰病変内部の酸性条件を重炭酸イオンで緩和し,3.フッ化物を応用する。この順番が大切なことを示唆しています。
ただ残念なことは,再石灰化反応にはなくてはならない微量元素であるフッ化物イオンの量が唾液には少なすぎることである。そのため,第1に公衆衛生的に,第2にセルフケアとして,第3に臨床的に,フッ化物応用する必要があります。
唾液量が少なく口腔乾燥症状を有し,歯根露出のある対象者(主に高齢者と一部の成人)に対して実施している再石灰化療法は,歯根部の齲蝕予防,と同時に口腔乾燥症状の緩和を目的とした人工唾液の処方(表2)です。また,薬物由来による口腔乾燥症状の発現に対しては医師に薬物の変更を依頼している。Chair Side での基本的術式は,次の点を中心に行っています。
1. 露出歯根部の早期発見
2. 保健指導の一環としてエナメル質とは溶解性が違うことの説明
3.フッ化物配合歯磨剤を用いてのPMTC(歯垢除去するため,有効な水洗・乾燥)
4.Self Careとしてスプレー(図1)ならびに「ぶくぶくうがい」方式による人工唾液の使い方の指導+家庭でのフッ化物配合歯磨剤の使用。
残念ながら,市販されている人工唾液には共通イオンの無機成分を含有している物もあるがフッ化物は含まれていません。
4.脱灰病変の転帰
表層下脱灰の特徴は,齲窩を形成していないことです。表面は連続性を有しています。酸は表層下の脱灰病変に浸透していきますが,細菌は脱灰病変内に侵入していない状態です。脱灰病変内部からの酸による結晶の破壊がないため,可逆的変化を可能にしています。さらには,唾液中の過飽和なCa/Pが長期間高濃度で維持されるのも表面が連続性を維持できているからです。これらのことが,病変の表層や内部の再石灰化を可能にしています。しかしながら,脱灰と同じ再石灰化期間内では失われたミネラルは回復しません。再石灰化には脱灰に要した時間よりも長い期間が必要になります。
脱灰病変の再石灰化による臨床的変化には3つの様態があります。ミネラルの回復が健全程度まで発現した場合,色調までも健全エナメル質とほぼ同程度まで回復します。ミネラルの回復は健全レベルにまでいたらなくとも,臨床的にはエナメル斑と同じ所見を示したままで進行所見を示さず,停止したままのケースがあります。これが進行を停止した齲蝕です(Arrested Caries)。これまで認められた最も一般的な変化は,進行性変化です。経過観察によって齲窩を形成することが確認できます。従来の治療(ただし,歯質低侵襲性の治療)が介入するのはこの時期からで遅くはありません。
これらの様態変化を鑑別できる唯一の方法は,時間という道具を使うことです。時間をおいて脱灰病変を何度でも経時的に観察することです。学校歯科健診におけるCOと要観察はそのことを意味しているように思われますが,要観察(Watchful waiting)はただ手をこまねいて見ているだけというニュアンスです。COに対しては,より積極的には予防勧告を行い,プロッフェッショナル・ケアとセルフ・ケアの両面から保護を加えながら観察すること,「保護観察」が,健全歯を増やすためには必要であると思います。
5.再石灰化の将来
再石灰化の将来については,詳細を記載する歯面の余裕がありませんので以下の拙文9)を参照して下さい。理解の参考となるKey wordsは,機能性高分子,マイクロカプセルです。この活用による脱灰抑制-再石灰化促進の夢について記載しています。
再石灰化処置が健全歯を増やし,健全状態を維持することに貢献する21世紀の歯科医療の中心になることを期待しています。
文献
1.O, Backer Dirks: Posteruptive changes in dental enamel, J Dent Res, 45;503-511,1966.
2.J M ten Cate: フッ素の使用による齲蝕予防とそのメカニズム,歯界展望,Vol.95
No.155-168, 2000.
3.Shellis,R P: Effects of a supersaturated pulpal fluid on the formation of caries-like lesions on the roots of human teeth, Caries Res, 28;14-20,1994.
4.Ericsson, Y; Enamel- apatite solubility; Investigations into the calcium phosphate equilibrium between enamel and saliva and its relation on dental caries, Acta Odont Scan., 8 supplement, 3; 1-139, 1949.
5.Hoppenbrouwers, P M M, et al. ; The mineral solubility of human tooth roots, Archs oral Biol., 32; 319-322, 1987.
6. 石川達也,高江洲義矩(監訳):唾液の科学,一世出版,pp 63-69, 1998.
7.Leinonen, J, et al.; Salivary carbonic anhydrase isoenzyme VI is localized in the human enamel pellicle, Caries Res, 33;185-190,1999.
8. K Tanaka, Y Iijima; Acid resistance of human enamel in vitro after bicarbonate application during reminaralization, J of Dentistry, 29; 421-426, 2001.
9.飯島洋一,硬組織(エナメル質)の再生と再石灰化療法への期待,クイントエッセンス,20;105-110,2001.