深井穫博
(深井保健科学研究所)
はじめに
臨床の場面で,「困った患者」や「苦手な患者」というのがある。痛みや,補綴物の脱離など緊急性のある症状では医療機関を受診するが,症状がおさまれば通院を中断する。来院と中断を繰り返す患者。あるいは,歯周治療の場面での口腔清掃指導やそのメインテナンスのための「受診の勧め」になかなか従ってくれないとか,治療内容を自己判断で勝手に解釈してしまう,予約をよく無断でキャンセルする,コミュニケーションが図れず一方的な会話に陥ってしまうなど日常的に出会う患者である。しかしこの現象には,患者側にも言い分がある。
歯科医師や歯科衛生士が,「困った患者」とどのくらいの頻度でかかわっているかは,日常の臨床でも,漠然と捉えていることが多い。アメリカでのある調査では,大学病院での歯周治療プログラムからドロップアウトする者が11%から45%,個人の歯科診療所の場合でも,そのプログラムに従える者が30%以下であり,さらに専門家からの歯みがき指導を順守する者は,楽観的に見積もっても50%以下であったという報告がある1)。また,わが国の25~64歳の働く成人の調査でも,職場などでの歯科検診で「治療の勧め」に必ず従う者は,男性では19.4~24.2%,女性で26.8~52.3%とされている。しかもこの調査では,歯や歯周部位の症状を自覚した場合に,その対処として「歯科受診する」ものは,男性で62.2~78.4%,女性では64.5~81.3%を示し、両者の対応にギャップがみられることが指摘されている2)(図1)。
う蝕や歯周病の治療とその予防効果を高めるためには,歯科医師や歯科衛生士の技術だけでなく,患者のセルフケアや定期的な歯科受診が不可欠な要素と考えられている現状では,健康に関する専門家の指示や指導を患者が守ったり,協調してくれるかの問題は,その医療機関の評価にもかかわり,切実である。そのことが,患者の行動をいかに変容するかとか健康教育とモチベーション,そして患者側の視点からみた保健医療の行動科学的なアプローチの重要性を喚起しているわけであり、単純に「困った患者」では片付けられない状況がある。
コンプライアンスcomlplianceとは
コンプライアンスcomplianceとは,本来は「要求,命令などに従うこと,応諾,追従」という意味である。保健医療の領域では,1970年代頃から,米国で患者が医師の処方通りに服薬しないことが注目されるようになり,服薬順守を意味するpatient complianceという用語が用いられるようになった3)。その後このコンプライアンスという用語は,服薬行動に限らず, 通院,食事療法,運動療法などにも広く用いられるようになり,保健医療従事者が,患者の健康のために必要であると考え勧めた指示に患者が応じ,それを順守しようとする態度として表現されている。「保健医療従事者のアドバイスに患者が従う行動の程度」と定義づけられている場合が多い1),4-6)。わが国でも「コンプライアンスが良い」とか「悪い」(poor compliance, non-compliance)とかときどき表現されている。
保健行動学の分野で同じような意味で使われている用語に,adherence(遵守), therapeutic alliance(治療協調),cooperation(協力),collaboration(協同)などがあり,さらにacceptance(受容)と表現する場合もある2,7,8)。すなわち同じ行動を,患者側の視点からみれば,adherence, acceptanceであり,患者-保健医療専門家関係を強調した視点では, therapeutic alliance, cooperation, collaborationとなる。本来,コンプライアンスには,専門家からの視点という意味合いが強いようであるが,必ずしもこれらの用語は明確に区別されているわけではない。しかし前提としては,「専門家の指導は常に正しい。だから患者はそれに従うのが当然であり,そいのことが患者の健康につながる」というニュアンスがあることに注意して用いなければならない。実際には,保健医療従事者の指示に患者が盲目的に従う権威主義的なコンプライアンスから,患者の意志が尊重され,病気の予防や治療のための専門家と患者双方の協同的なコンプライアンスまで用語の用い方に幅がみられている7)。 一般的に急性疾患の場合には,患者には自覚症状が強くみられ,その症状に伴う痛みや不安を早く取り除きたいために,医療従事者の指示に比較的よく従う場合が多い。しかし,その症状が改善したりあるいは慢性疾患の場合には,服薬や運動,食事療法など生活様式の自己管理に基づく長期間にわたる療法の維持が必要となる。しかも自覚症状がなくて,生活様式の変化を要求する治療法に対するコンプライアンスは,急性症状の場合に比べて明らかに悪く,糖尿病や高血圧のように,食事の制限や長期間の服薬管理では,すでに初期段階で50%の患者が指示を守らず,しかもその「ノン・コンプライアンス」の割合は,病状の経過とともに次第に増加するといわれている7)。 歯科保健医療の分野では,このコンプライアンスは,歯周治療(SPT; supportive periodontal therapy)の効果との関係に着目した研究報告が多くみられている1),9-12)。例えば,患者が定期歯科健診に来院したり,口腔清掃状態が改善した場合には,歯科医師や歯科衛生士の指導や指示に従ったとみればコンプライアンス行動といえるが,実はこれは患者が自分の意志での受診と口腔清掃という口腔保健行動そのものであり,コンプライアンスの要因を考えることは,人々の保健行動の要因を追及することである。
コンプライアンスに関連する要因とその背景
これまでの調査では,「ノン・コンプライアンス」にかかわる因子として,保健情報と患者の保健に関する知識不足, 疾患に対する「恐れ」の自覚, 治療の必要性や効果の認知度,時間的制約,治療費,職業上の要求, 怠慢な性格,忘れっぽさや無関心などとの関係を指摘する報告がある。また,「コンプライアンスの良い患者」の特徴としては, 歯科医師の熟練した治療技術,強いモチベーションがあること,口腔保健の重要性を切実に感じた経験,良好な口腔内状態,口腔状態の改善に関する自己効力感,口腔保健にかかわる知識が高いこと,民間保険への加入,歯科治療に対して恐怖心が低くて積極的な患者,治療期間が短期間であること,などが報告されている。一方,年齢,性差,所得など経済性とコンプライアンスとの関連は必ずしも明確ではない6),13-16)。
また,患者側からの視点で,治療や指導に対する満足度 17),保健信念health belief 18,19),病気に対する「解釈・対処・評価」というプロセスからなる自己調節モデルself regulatory model 20)(図2),ローカス・オブ・コントロールhealth locus of control 21),セルフ・エスティームself esteem 22,23) ,自己効力感self-efficacy24)など患者の心理的な側面からコンプライアンスの行動を解釈しようとする報告もみられる(図3)。 例えば 保健信念モデルは,保健行動の因子として,客観的な病気の脅威や対処行動の有用性でなく,対象者自らが感じる主観的な病気の脅威や対処行動の有益性を強調した価値-期待説に基づくものである。そして「病気の重大性」,「病気に対する脆弱性」,「保健行動の利益」,「保健行動の自己効力感」のなかで,「脆弱性」と「利益」がコンプライアンスに関連するという報告がある。また,ヘルス・ローカス・オブ・コントロールとは,内的統制(internal locus of control)と外的統制(external locus of control)という2つの軸で行動を説明するモデルであり,個人が事象を自分自身でコントロールできると考えるか(内的統制),あるいは他者や偶然などがコントロールすると考えるか(外的統制)の程度を示すものである。この「外的統制」の強い人が「コンプライアンスが良い」という報告などある23)。 これらの先行研究で個々に検討されてきたコンプライアンスにかかわる因子を整理すると, 4つに分類することができる。
(1) 歯科医師や歯科衛生士など歯科保健医療専門家側の問題
(2) 患者側の問題
(3) 患者-歯科保健医療専門家関係と双方向のコミュニケーション技術の問題
(4) 歯科保健医療サービスの量など環境に関する問題
である(図4)。
歯科医師や歯科衛生など専門家側の問題としては,治療や予防の効果,歯科治療の質,健康教育の質などがある。この「質」には,治療計画や手順とうプロセスと受診者の快適性が含まれる。患者側には,何よりも治療や予防の効果outcomeを自覚できることにあるが,それにかかわるその人の心理的特性,指導内容を理解して記憶する認知的側面,個人の経験に基づく疾患や治療の必要性に対する認識などの心理的側面と職種による時間的制約などの個別の生活背景などがある。
患者-保健医療専門家関係 25,26)(図5)のなかでは,歯科医師や歯科衛生士に患者への治療内容や指導にかかわるコミュニケーション能力と,患者から自分の状態や考えを専門家に伝えるコミュニケーション能力の問題がある。このコミュニケーション技術には,言語的コミュニケーションとしぐさや態度などの非言語的コミュニケーションがあり,その基本は共感にある。そしてコミュニケーションは,情報を「伝えること」と「受け取り理解すること」が双方向にやり取りされることである27)。歯科保健医療サービスの量など環境に関する問題は,医療機関の構造やアクセスなど利便性に関するものである。
しかもこれらコンプライアンスをとらえる際には,常に,1.患者側の立場と,2.専門家側からの評価という2つの視点がある。このことを混同すると,歯科医師や歯科衛生士は,指導や指示を守らない患者をノン・コンプライアンスとして非難blameして,患者の方は「わかってくれない」専門家を嘆いたり非難して保健医療サービスを敬遠していくという,不毛な関係を繰り返してしまう(図6)。
口腔保健行動の実態を知る
人々の生活の背景を知る手がかりとして職種に着目してみると,昼食後の歯みがきの実践では,事務職および管理職が他の職種に比べて積極的であり,デスクワークなどの職務形態と昼食時間の規則性が歯みがき行動に影響している実態がうかがえる。また,歯科受診・受療行動をみても,「過去1年間歯科受診」では,管理職と販売職ではその行動に約40ポイントの較差がみられる。勤務時間の不規則さが,歯科受診を妨げている現状を反映している28)(図7)。この職種に代表される来院者の生活背景を無視した一方的な指導や指示は,受容されることが難しい。
インフォームド・コンセントに関連して,診療室の場面で,患者が専門家に「よく説明すること」を求めるのは,治療への恐怖心や専門家への不信よりも,むしろ「家族と口腔保健の会話をよくする」,「新聞の健康欄をよく見る」,「歯科治療や指導に満足した経験」などの歯科受診での良い経験や健康への積極的な態度が反映しているという事実がある29)。さらには,歯科治療現場での不愉快な経験には,歯科への期待感を変化させる力は少なく,過去の歯科衛生士からの指導や処置で快適な経験を持つ者が,専門家の予防技術やコミュニケーションなど,より質の高いヘルス・ケアを追求し,「歯科医院の選択理由」も変化していく傾向がみられる30)(図8-1,8-2)。このようにポジティブな経験が,行動を変容するプロモーターになるという事実は,コンプライアンスにおける保健医療専門家の責任の大きさをそのまま示している。
まとめ
臨床の場面で,よく出会う成人患者との交流を「コンプライアンス」の観点から考察を試みた。保健指導の場面で指示や助言に素直に従ってくれない患者は,歯科医師や歯科衛生士には難しい患者であるが,それを「ノン・コンプライアンス」と一方的に非難することは避けたほうがよい。実は,「ノン・コンプライアンス」は,専門家の患者への態度と技術をそのまま反映した実態であり,問題はむしろ専門家側にあるように解釈できる。健康情報の質,コミュニケーション技術,保健医療の場面での行動科学的アプローチなど,専門家が解決しなければならない課題は多い。
文 献
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(深井穫博:歯科衛生士,2002,26(2),11-17)