深井穫博
(深井保健科学研究所)
医療者と来院者との出会いと対話
歯科医療現場での医療者と来院者とのコミュニケーションには、他の場面にはみられない特徴がある。始めての受診の場面で、一方は病気にかかわる苦痛とその病歴を語り、その症状を改善してほしいと訴える。歯科医師はその主訴を聴き取り、検査を行ない診断し、治療が開始される。そこには、医療者の職業として定められた対応がある。しかも両者の間には本来あってはならないことであるが、どうしても生じてしまうギャップのなかで行われる。すなわち、「情報の非対称性」としての「医学的な知識の較差( Information gap)」と、社会的な役割としての医療者の「優位性」である1)。
また、医療者が来院者の語ることをどの程度まで聴き取っているか、あるいは来院者が医療者に対してどこまで語るかの問題がある。来院者の発話は、実は医療者の態度によってその量も質も異なってくるからであり、その根底には来院者がもつ医療者への信頼の度合いがある。すなわち、語ることは聴く者の態度の反映でもある。
ナラティブ・ベイスト・メディスンとは
1990年代初頭からの医療や保健分野での一つの潮流に、「根拠に基づく医療(EBM:evidence based medicine)」がある。科学的根拠に基づいた医療として、過去の研究結果を標準化してその治療法の妥当性を検証しようとするものであり、医療の質を高めるための手法である。ここでいう「根拠」とは、普通は人間集団を対象とした調査研究で得られたリスクや可能性のことであり、ランダム化臨床試験(RCT)やコホート研究の結果をさす2)。
それに対して、1990年代後半からは、医師の治療にかかわる意思決定の場面で「根拠」、「統計手法」、「科学性」を強調しすぎることの反省から、その補完的な意味をもつ考えとして「ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM:narrative based medicine)」の重要性が提起されている。病気をもつ患者には物語があり,その患者の病気にかかわるナレーションをよく聴き対話をはかることが、医師の診断のプロセスに役立ち、しかもよく聴くこと自体に治療的役割があるという主張である。このNBMという言葉が最初に登場したのは,1998年にBMJ Booksから発行されたNarrative Based Medicine-Dialogue and discourse in clinical practice (Greenhalgh T& Hurwitz B eds,1998)という書籍からである。この内容と全編に共通するテーマは,「ナラティブ: 物語り」という観点から、これまでの医療を見直そうというものであった。
NBMの特徴には、
(1) 患者が語る「病いの体験の物語り」をまるごと傾聴し、尊重する
(2) 医療におけるあらゆる理論・仮説や病態説明を「構築された物語り」として相対的に理解する。
(3) 異なった複数の物語りの共存や併存を許容し、対話の中から新しい物語りが創造されることを重視する。
がある3)。
NBMの理論的背景
NBMの理論的背景には、医療人類学的あるいは医療社会学的な研究法としての質的研究法(Qualititative research method)とカウンセリング理論がある。
質的研究法の基盤となる理論としては、民族誌学(ethnography)、象徴的相互作用論(symbolic interactionism)、社会構成主義(social constructionism)、エスノメソドロジー
(ethnomethodology),現象学(phenomenology)などがあげられる4)。
このなかで、エスノメソドロジーは1950年代の米国の社会学から生まれ、「人々が日常生活の対人関係における意思疎通の基盤をどのように組み立て意味づけ理解しているかについての経験的な研究」である5)。この人々の意思疎通のやりとりを分析する手法として、「会話分析(conversation analysis)」6)と「談話分析(discourse analysis)」7)がある。医療現場では、会話分析は、会話のやりとりや順序を分析することによって、患者・医師関係の実態を明らかにすることであり、「談話分析」では患者の物語りから個人的な経験や訴えの背景を知ることになる8)。また、物語はその場その場で創造されるものであり、現実は人々の間で構成された相対的なものであるという「社会構成主義(social constuctionism)」の基盤に立つ精神療法として、ナラティブ・セラピー(narrative therapy)という分野が1990年代中頃から生まれている9)。
患者のナラティブをよく聴くということの背景には、ロジャースC(1902-1987)の来談者中心療法がある。これは、「非指示的(nondirective)」、「クライエント・センタード(client-centered)アプローチ」として知られているものである。ロジャースCの仮説は「個人は自分自身のなかに、自分を理解し、自己概念や態度を変え、自己主導的な行動を引き起こすための巨大な資源をもっており、そしてある心理的に促進的な態度について規定可能な風土さえ提供されさえすれば、これらの資源は動き始める」というものであった。そしてカウンセラーの態度として、受容(acceptance)と共感的理解(empathic understanding)の重要性が強調されてきた10)。
病い(illness)と疾患(disease)にみられる二つのナラティブ
医療人類学者のクラインマンAは、「病い(illness)」と「疾患(disease)」という用語を区別した上で、「解釈モデル(explanatory model)」という考え方を提示している。「病い」の問題は、症状や能力低下がわれわれの生活のなかに作り出す根本的な困難のことであり、医療機関への受診は、この病いの訴えによる。このモデルにおいては、慢性の病いでは、患者が病いの解釈を行なうことが、患者自身によるケアを促進するとされている11)。それは、医療者が患者の病いを正当に評価すること、すなわち共感をもって傾聴することが、慢性の病いをもつ患者をエンパワーメントすることになるからである。
この「病い」の訴えとは、例えば、「最近、食事で固い物が急に噛めなくなった」、「家族から口臭を指摘されてから、職場や友人との会話にも気遣うようになり不自由である」、あるいは「突然、奥歯からの出血に気づいた。何か悪い病気ではないかという不安」といった訴えである。しかもこの訴えは、初診時の歯科医師とのやりとりだけでなく、受付での会話ですでに始まり、数回の受診後に始めて語られる場合もある。医療者と来院者の最初の出会いでの語りと、長期間にわたる継続的な両者の対話にある質の違いである。
患者の病いに対する解釈は、訴えとなって医療者に語られ、医療者はそれを聴き、診察し、検査を行なって、「疾患」としての診断を行なう。それは医療者の「解釈モデル」となり、もうひとつの医療者側のナラティブとなる。
歯科保健におけるナラティブの有用性と誤用
臨床での歯科保健の場面で、患者のナラティブをよく聴くことにはどんな有用性があるのだろう。患者の自立的なケアは口腔保健行動としてあらわれる。歯科衛生士が行なう保健指導はその口腔保健行動の改善(修正と変容)による症状の軽減と疾患の予防にある。保健行動モデルのひとつに、レーベンタールHら(1987)の「病気行動の自己調節モデル(self-regulatory model of illness behavior)」がある12)。これは、患者が病気を治そうという行動を、① 病気を解釈する段階、② その解釈に基づいて対処行動を起こす段階、③ 行なった対処行動の有効性を自己評価して行動を修正する段階、に分けるものである。この3段階のプロセスに患者の主観的な「病気の表象」と「病気への情緒的反応」が影響を与える。このなかで、「病気を解釈する」ことは患者のナラティブであり、対処行動の自己評価は、「治療や保健指導の満足度」として評価される。 歯科医療における患者満足度評価には、ディビスAらのDSQ(Dental Satisfaction Questionnaire,1981)13)やコラNLらのDVSS(Dental Visit Satisfaction Scale,1984)14)がしばしば用いられる指標となっている。DVSSでは、評価項目を① 情報とコミュニケーション、② 理解と受容、③ 技術的側面とに分類した10項目から構成されている。そのなかで、歯科医師の患者の訴えに対する理解度と共感的な態度の重要性が強調されている。そしてこの患者満足度は、口腔保健行動の改善として反映されていく15)。しかも患者の病いに対するナラティブを聴き、その煩わしさを知ることが、歯科医療者にとって有用な保健指導のための情報をもたらす。さらには、医療者に「道徳的想像力(moral imagination)」を喚起することになる16)。
しかし、患者のナラティブを無理に語らせようとしない配慮が必要になる。
ナラティブを促進する医療者の技術とそのトレーニング
日常的に、臨床の場面で「話したがらない」、「意気消沈している」、「不安を持っている」、「怒っていて攻撃的」など難しい患者とのコミュニケーションある。患者側からみると、話しやすい医療者の態度には、温かく共感的な人、話しやすい人、自信を持っていそうな人、患者の話に耳を傾け患者の言語的な合図に反応してくれる人、わかりやすく正しく質問してくれる人、誠実な対応などがあげられる17)。
医師と患者の間で行なわれるコミュニケーションに影響する要因には
(1)患者側の要因: 病気に対する態度、身体症状、過去の治療経験、現在の治療経験
(2)医師側の要因: コミュニケーション技術、コミュニケーション能力に対する自信、パーソナリティ、身体的要因(疲労など)、心理的要因(心配事など)
(3) 場面的要因: プライバシー、くつろげる雰囲気、適切な座席配置
などがある18)。
このなかでの特に歯科保健の場面では、医療者のコミュニケーション技術として(1)情報収集、(2)患者の感情への対応、(3)教育と動機づけの側面が求められる19)。
一般的に医療面接の技法としては、促進的対応、共感的対応、要約的対応、焦点をあてる対応、直接的質問(開かれた質問、閉じた質問)がある20)。特に患者が話しやすい医療者の態度としては、共感を表す傾聴の姿勢が問われることが多い。これは、医療者の表情やうなずきなどの非言語的なコミュニケーションが大きくかかわっている。例えば、マタラツォJDらは、面接の場面で面接者の「うなずき」が非面接者の会話を促進することを示した21)。また、医療者は、患者の語りの内容に応じて、即座に妥当な微笑、まなざしやうなずきなどが自然にでるものでなければ、来院者には、共感の態度としては伝わらずむしろ反感を招くことになる。このため、医療者には適切なコミュニケーション技法のトレーニングが必要になる22,23)。また、患者のナラティブを記録し、自分の医療者としての対応を自己評価する態度が重要であり、「会話分析」、「談話分析」、「交流分析」24)などの手法が有効であり、さらには記録としてのICレコーダの活用やコンピュータを利用した電子媒体での保存は、すぐにも取り入れられる方法である。
まとめ
臨床の場面で、患者と歯科医師・歯科衛生士との会話・対話は、日常的に限りなく行なわれている。歯科医師・歯科衛生士は、疾患を治療し、症状を改善し、予防することに焦点をあてる職業としての対応がある。口腔保健の改善は、何よりも患者の自覚に基づくものであり、自立的な本人の行動に左右されることが多い。病気をもつ患者には物語があり,その患者の病気にかかわるナラティブをよく聴き対話をはかるNBMの手法と、「よく聴くこと」の力をもう一度考えてみる必要があるだろう。なによりも相手のことをまず考えるという医療の原点がそこにある。
文献
1) 石川達也、高江洲義矩、中村譲治、深井穫博編:かかりつけ歯科医のための新しいコミュニケーション技法、第1版、東京、医歯薬出版、2000、30-55頁
2) Sackett,DL, Richardson,WS, Rosenberg,W, Haynes,RB: Evidence-based Medicine,1st ed.,Churchill Livingstone,1997(久繁哲徳監訳:根拠に基づく医療―EBMの実践と教育の方法、オーシーシー・ジャパン株式会社、大阪、1999、1-19頁)
3) Greenhallgh,T. and Hurwitz,B Editor: Narrative Based Medicine Dialogue and discourse in clinical practice, BMJ Books, 1st ed.,1998(トリシャ・グリーンハル,ブライアン・ハーウィッツ編,斎藤清二,山本和利,岸本寛史監訳:ナラティブ・ベイスド・メディスン 医療における物語と対話,金剛出版,第1版,東京,2001、252-269頁
4) Pope,C.,Mays,N. editor,Qualitative Research in Health Care, BMJ Books,2nd ed,England,2000(ホープC,メイズ,N編,大滝純司監訳:質的研究実践ガイド 保健・医療サービス向上のために,真興社,第1版,東京,2001、10-17頁
5) Leiter,K;A Primer on Ethnomethodology, Oxford University Press Inc.,1st ed.,1980(ライターK,高山眞知子訳; エスノメソドロジーとは何か,新曜社,第1版,東京,1987)
6) Psathas,G: Conversation analysis-The study of Talk-in-Interaction,1st ed,Sage Publication Inc,1995(ジョージ・サーサス(北澤裕、小松栄一訳):会話分析の手法、第1版、マルジェ社、東京、1998)
7) Burr,V.: An introduction to social constuctionism, 1st ed, Routledge, London,1995(ヴィヴィアン・バー(田中一彦訳):社会的構築主義への招待-言説分析とは何か,川島書房,東京,1997)
8) Silverman,D: Doing qualitative reseach-A practical handbook,1st ed.,SAGE Publications,London,2000,pp298-310
9) 高橋規予,吉川悟;ナラティブ・セラピー入門,金剛出版,第1版,東京,2001,32-58頁 10) Kirschenbaum,H.,Henderson,VL: The Carl Rogers Reader,1st ed. Sterling Lord Literistic Inc, New York, 1989(カーシェンバウムH,ヘンダーソンVL(伊東博、村山正治監訳):ロジャース選集(上)、第1版、誠信書房、東京、2001、286-313頁)
11) Kleinman,A: The Illness Narratives Suffering,Healing and the Human Condition, Basic Books Inc, 1st ed, New York,1988(アーサー・クラインマン,江口重幸,五木田 紳,上野豪志訳:病の語り 慢性の病いをめぐる臨床人類学,誠信書房,第1版,東京,1996、3-37頁)
12) Leventhal,H., Cameron,L.: Behavioral theories and the problem of compliance, Patient Educ Couns, 10, 117-138,1987
13) Davis,AR, Wale,JE: Measuring patient satisfaction with dental care, Soc.Sci.Med.,15A,751-760,1981.
14) Corah,NL,Oshea,RM,Pace,LF,Seyrek,SK; Development of a patient measure of satisfactuion with the dentist: The Dental Visit Satisfaction Scale, J. Behav. M.,7,367-373,1984.
15) Fukai,K,Maki,Y,Sugihara,N,Takaesu,Y: Choice of dental provider in relation to patient satisfaction, J Dent Res,80,761,2001.
16) Scott,C.: Caring narratives and the strategy of presence: narrative communication in nursing practice and research, Nurs Sci Q,14,249-254,2001.
17) Lloyd,M,Bor,R;Communication skills for Medicine, Elservier Science,1st ed.,London,1996 (ローイドM,ボアR,山内豊明監訳:事例で学ぶ医療コミュニケーション・スキルー患者とのよりよい関係のためにー,西村書店,第1版,新潟,2002.11-28頁)
18) Billing,J.A. and Stoecle,J.D.: The Clinical Encounter-A guide to the Medical Interview and Case Presentation,2nd ed.,Mosby,1i999( ビリングJ.アンドリュー,ストックル,ジョンD.日野原重明,福井次矢監訳,臨床面接技法-患者との出会いの技、第1版,東京,医学書院,2001.
19) Cohen-Cole,SA: The Medical Interview; The three-function approach,1st ed.,Mosby-Year Book,Inc,1991(飯島克巳、佐々木将人監訳:メディカルインタビューー三つの役割軸モデルによるアプローチ、第1版、メディカル・サイエンス・インターナショナル、東京、1994、5-8頁)
20) 高江洲義矩編:保健医療におけるコミュニケーション・行動科学、第1版、東京、医歯薬出版、2002、1-8頁
21) Matarazzo,JD, Saslow,G, Wiens,AN, Weitman,M,Allen,BV: Interviewer head nodding and interviewee speech durations. Psychotherapy, Theory, Research and Practice,1,54-64,1964(斎藤勇編:対人社会心理学重要研究集3対人コミュニケーションの心理、誠信書房、第1版、東京、1987、72-75頁)
22) Charon,R.,: The patient-physician relationship. Narrative medicine: a model for empathy, reflection, profession, and trust, JAMA,286,1897-1902,2001.
23) Langewitz,W., Denz,M., Keller,A., Kiss,A., Ruettimann,S., Woessmer,B.: Spontaneous talking time at start of consultation in outpatientclinic: cohort study, BMJ,325,682-683,2002.
24) 深井穫博:「交流分析」再考―よりよいコミュニケーションのために、歯科衛生士、24(9)、38-47,2000.
(深井穫博:歯科衛生士,2002,26(12),21-28)